みんな好きなんだ‼
小5 あきひろ(asiguru)
2025年4月1日
「これ手作りの梅干しです」昨年度3月25日をもって大好きだった先生2人が他の学校に異動しまうので梅干しをあげたときの言葉です。この先生2人は、ぼくの1.2年生頃の担任の先生でした。その先生はすごくやさしくてぼくを、かわいがってくれていました。この先生と一緒にいる時間が一番リラックスでき、最高の時間でした。
先生たちがやめてしまうのが分かる学校の行事、『離退任式』昨年度の離退任式は、過去以上に、涙が魂の深淵から静かに湧き上がる感覚があります。一昨年の離退任式も好きだった先生がいたけど昨年の方が泣けました。1人の先生には、1年生と3年生の頃に梅干しをあげたことがあり3年生の頃は遠足のときの弁当に入れていて担任を務めていたクラスのみんなに「これあっきーが作った梅干しだぞおいしいぞ」と自分が梅干しを作ったかのように自慢をしてくれていました。2年生とき担任だった先生は3月25日にあげたのが2回目でした。2年生の頃あげた梅干しには、物凄い深いストーリーがあります。先生に梅干しをあげた3日後に先生が突然休み始めてそれから長期期間休みとなってしまいました。この長期期間休み明けに先生が朝の会で発言したことが衝撃でした。先生は「長期期間先生が休んだ理由は、先生のお母さんが死んじゃったんです」この後、個別にぼくに少し話をしてくれました。この時、先生が「あっくんがくれた梅干しを入院中のお母さんにあげたら、おいしいって笑顔になったよ……でも、うめぇ…って言った後、涙が“梅”れて止まらなかったよ。 ありがとう。」と泣き目になりながらぼくに話してくれました。
お母さんに聞きました。お母さんが小学生の頃、体育の授業で台上前転をやっていての男子がやってマットがない横の方に落ちそうになってしまい定年退職の直前のおばちゃん先生が支えようとしたらおばちゃん先生の大腿骨が折れてしまったそうです。この骨折以降学校に来なくなってしまったそうです。その理由は、病院で入院していたそうでリハビリをしていたのです。卒業式が近づいたときにリハビリが完了し卒業式に出れることなったそうです。その先生は、卒業式に来てくれたそうです。ぼくは、この話を聞いてこんな俳句を詠みました。「先生が げんきにきたよ そつぎょうしき 岸 明宏 復活の俳句」
ぼくが好きだった先生は、みんなが好きでぼく以外にもこのやさしい先生を必要としている人たちに所に行ったということが分かった。