あだなはよい
   中1 すりりんご(akimano)  2025年4月1日

 私には、いつも遊んでいるグループがある。そのグループでは、皆があだ名でお互いのことを呼び合っている。そのあだ名には、「カエル」や「レモン」、「モザイク」や「ごはん」などユニークなものがある。どのあだ名も本人に許可を取り、認められたら使ってもよいことがグループのルールとなっている。グループの中の一人、モザイクには、あだ名が百二十二個ある。最初は、二十七個しかなかったものが、六年生の二学期、三学期で、九十五個も増えている。そのくらいたくさんのあだ名があるモザイクは、クラスのみんなからもさまざまなあだ名で呼ばれている。その一つ一つのあだ名は、個性豊かで、その人の思いが集まってできているものだと思う。しかし、誰のことを指しているのかわからないことも多い。私はあだなというものはよいと思う。その理由は二つある。

 第一の理由は、あだ名には個性があるからだ。私は以前、モザイクのことをフルネームで呼んでいた。だが、前に述べたようにグループではあだ名が原則となっている。フルネームだと、原則を破ってしまうのではないか。この後に気が付いたのだが、原則の他にも急いでいる時などにはあだ名で呼んだ方が呼びやすいし、むしろ、早く呼べることもあるだろう。それに、あだ名だと、他の人達からはわからないだろうからよいと思う。グループでは、「モザイク」以外に「ひつじ」やモザイクの縮小版の「モザ」、「るんご」などの呼び名がある。どれ個性的である。そのあだ名だけで、誰がつけたあだ名なのかが分かる。

 第二の理由にあだ名があることで親しみがうまれることである。フルネームで呼んでいると、かたくるしくはないか。私は、かたくるしいものより、柔らかい布のようなものの方が、親しくなると思う。そのために、相手が嫌がらないあだ名で呼ぶのがよいだろう。あだ名で呼ぶと、相手もあだ名をつけてくれる。フルネームとは別の名前である。

 あだ名では喧嘩が起こりそうと思う人もいるだろう。以前にグループであったことだが、給食中にグループの一人が「ししゃも」といって、あだ名が百二十二個あるグループの一人に見せつけて食べた。そのことに、あだ名が百二十二個ある人は怒り、二日間の喧嘩になってしまった。その喧嘩がおさまったあと、あだ名をつけるのはおわりにすることにしたが、その時あだ名が百二十二個ある人は、あだ名がししゃもを入れて九十八個だった。では、なぜ今あだ名が百二十二個あるのかというと、許可制にしたからである。その許可制とは、あだ名をつけたい人が、本人に許可をとり、認めてもらえたら使ってよい、認めてもらえなかったら使わないというものだ。このおかげでこのような喧嘩はなくなった。正しいものは、悩みも多いという。あだ名は・・・と思う人も、実際に使ってみると、相手と親しくなれるのではないか。それでも、相手が嫌がるようなあだ名をつけないことが原則だ。私は、原則を守りながら、あだ名というものはよいと思う。