あだなは良いか悪いか
   中1 あかまな(akamana)  2025年4月1日

 私は、あだなは良いと思う。私がまだ生まれていないころ、祖父母の家でシーズーを飼っていたそうだ。そのシーズーの名前はマイケル・コットン・ブーキチ、という変わった名前であった。そのマイケル・コットン・ブーキチ、からブーキチへとブーキチからブー、へとどんどんあだなが増えていったそうだ。そして私があだなは良いと考える理由はニつある。



 第一の理由として、あだながあることによって親しみが増すと思うからだ。その子の名前が呼び捨てで呼びにくい場合にあだながあることで話しやすくなったり親しみやすくなると思う。母から聞いた話では母の名前を呼び捨てで呼ぶことが出来ない人がいたそうだ。だがらその人とはあまり親しく話すことが出来なかった、と母は言っていた。そのような時にさとうくん、というキャラクターが母に似ていると言われ、あだながさとうくん、となった。そのさとうくんというあだなをクラスのほぼ全員が呼ぶようになっていた。だからみんなとより親しみやすくなっことだろう。だが母はさとうくん、というあだなで呼ばれるのは嫌だったと言っている。だからこのあだなで呼んで良いのか、その本人に確認しなければだだ相手を傷つけることになってしまう。でもあだなによって友達同士の絆が深まったのも事実である。



 第二の理由としてあだながないと区別が出来ない場合があるからだ。私の学年には苗字も下の名前も同じ同級生の男の子がいる。苗字だけ、や下の名前だけ、ではなくどちらも同じ名前だと、区別がつかないだろう。だから私の学年は、一人のこをRくん、もう一人のこをRちゃん、と呼んでいた。もちろんRちゃんと呼ぶことの許可はRちゃん本人からもらっている。あだながあることで一人一人を区別することが出来、とても良い手段だと私は思う。



 確かに、母の実例でもあったようにあだなによって人を傷つけてしまう場合は良くないと思う。しかし、あだなはうまく使えば人間関係を良りよくしてくれるものとなるだろう。一人の敵も作らない者は、一人の友も持たないという名言がある。あだなは使い方によっては人を傷つけることもある可能性のあるものをうまく使うことでよりよい人間関係を築くことが出来るのではないだろうか。