親しみやすさ
   中1 あおほゆ(aohoyu)  2025年4月1日

 私の知っている友達にはあだ名で呼んでいる友達がたくさんいる。そういう友達とは、仲がいいことが多い。私は、あだ名を付けるのは良いことだと思う。そう考える理由は二つある。

 一つめの理由はあだ名を付けることによって仲が深まる場合があるからだ。最近あだ名を付けることを禁止にしてさん付けで呼ぶことを義務とする小学校や中学校などがあるそうだ。つまり、どんなときでもさん付けで呼ばないといけないということだ。そうなると、かたくるしい感じがして私は、いやだなと感じた。更に、同じ苗字だった場合には、フルネームで呼ばないといけないそうだ。もしそうなったら、寿限無ほどではないけれど名前が長い子もいるので大変だなと思った。私は、仲の良い友達とは、ほとんどいつの間にかあだ名で呼んでいる。前は、クラスのみんなで給食の時間に〇〇っちと呼び合ってあまり普段はしゃべらない子とも楽しくしゃべって楽しかった経験がある。なので、あだ名を付け合える学校でよかったと安心した。もう一つ例題がある。それは、習い事のコーチのことで、本名は、松村コーチだ。しかし、そこの習い事のコーチはとても人数が多い。そういうことがあってとても覚えにくかった。あるとき友達が、松村コーチは、他の人より背が高く見えるし、名前に松って入っているから「たけ」って言った。それからそのコーチのあだ名は、たけになった。私は、今でもたけと呼んで仲良くなっている。そういう時はあだ名は便利だなと感じるのだ。

 二つ目の理由は、あだ名をつけることで、わかりやすくなることも数少なくはないからだ。私はあだ名を付けるのは、あまり得意ではない。なぜなら、付けたとしても少し変だなとみんなから感じられるものか、または、その人に気に入ってもらえない時が多々あるからだ。しかし、私とは反対にあだ名を付けるのが得意な人がいる。例えば私の友達には、「みゆ」という名前の子が二人いる。二人とも同じ習い事の子でその二人同しとても仲が良い。私が、その習い事に入ったときは、聞き間違いかと思って他のこに聞いてみたら両方ともみゆだからわかりにくいよねと言われた。私自身も何回かみゆと読んだら同時になに?と聞かれるというお互いに困ったことが起こるようになった。そういうことが何回かあったとき、誰かが一人の苗字を少し変えて「きった」と呼んだ。

私は、そういう問題をあだ名で解決するという方法を思いつかなかったのですごいなと感心した。

 あだ名は、時には相手が嫌がりいじめなどにつながってしまう場合もある。しかし、悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのであるという名言があるように、じょうずに使えば親しみやすくなるので良いと思った。