私の目標
   小6 あやゆき(ayayuki)  2025年4月1日

 「よし、がんばるぞ!」

 これは、春休みに入る前に一人、一人考えた六年生の目標が決まった時に言ったことだ。そして、その目標はいろいろあったがわたしは「最高学年の責任をもつ」に決めた。

 わたしは、春休みにはいる前、五年三組の山口先生がみんなに、

「六年生の目標を書きましょう。」

とよびかけた。だから、わたしは、その目標シートにわたしはいろいろまよったが、「最高学年の責任をもつ」と書いた。なぜなら、最高学年の六年生になったら、委員会の委員長や体育大会の団長や副団長などの一、二、三、四、五年生をまとめる「責任」が大切だと思ったからだ。そして、クラスの全員が終わったら先生が、

「友達と書いたことを伝え合おう。」

と言ったので、わたしは、親友のまいちゃんといっしょに伝え合うことにした。そのまいちゃんといっしょに伝え合うことにした。そのまいちゃんの目標は「最後の一年を楽しむ」という目標だった。そしてそのまいちゃんに、

「なんでまいちゃんは、その目標にしたの?」

ときくと、まいちゃんは、

「最後の一年はさすがに勉強より楽しみたいじゃん。六年生でロクでもない年にしたくない(笑)」

といっていた。それに対してわたしは確かにと思った。

 父に聞いた。父は仕事で使ういろいろな資格やめん許を持っている。その中で一番取るのに時間がかかったのは、街で建物を建てるときに物をつりあげるクレーン車のめん許だ。父は、「よし、このめん許を四十才になる前にとるぞ」という目標を立てて、資格を持っためん許を取ったそうだ。めん許は学科試験というテスト用紙の問題

実際のクレーン車をそう作する技術のテストの二つに合格しなければならない。父は、学科試験をその年の八月に合格した。二か月後の十月に技術のテストを受験した。試験開始後、五分で不合格になり二時間かけてまた福井県に帰った。まさに無だ足になってしまった。その後、よく年の三月に、福井県のとなりの石川県にあるクレーンの技術を教えてくれる教習所に、七日間通ってようやくめん許書を手に入れることができた。まさに急がばまわれである。目標を立てて実現するには、いろいろな方法があるが時間をかけて、じっくりかけてじっくりやった方が成功することが多いと父は言っていた。

 わたしは目標は人間にとってやる気を出すものであるということが分かった。そして、目標は努力して、成功する経験を持たせてくれるものだということも分かった。だから、これからはその目標に向かって、努力していこうと思った。