他人の意見を受け入れる
高1 ヨーヨ(waoho)
2025年4月1日
最近では、AIや技術の進歩でその情報に対して疑問を持たない人が多い。私たちは、もっと疑問を持つ大切さを見直すべきだ。
そのためには第一に、あらゆることを一度自分で考えることだ。あるものに対して理解するためには、真実を知っているという暗記だけでは良くない。そのことについて、疑問に思い実際に調べることでより一層理解できる。例えば、地質についての文や画質を見ても、実際に見たりさわらないと体感できない迫力や感触はわからないことがある。すなわち、世の中にある情報は確かに正しいかもしれないものの、一度自分で考えたり見ることで理解できるものだ。それに加えて、自分で考えるという習慣は多くのことに役立つ。ネットでは誤った情報も多くあり、その情報から学習するAIもたまに違うことを言うことがある。これからどんどんそんなAIなどが仕事に参入してくることから、その誤りを見極める必要がある。そのような場面で普段から考えている違和感を感じて調べて比較する。そのような考えるというひと手間を加えることで自分の考える軸というものが生まれていく。これにより、曖昧なことを受け入れることもできるのだ。つまり、普段の思考によってネットリテラシーや自分の軸を身に付けることができるのである。
学校教育でも、一人一人が疑問を飲め会う環境をつくるべきだ。正しいことを知っていることよりも、自分の意見を持ち共有する力のほうが重要だ。しかしテストなどによって今の教育は暗記する力や素直に受け入れるという社会は暗記する力や素直に受け入れるという社会に出たときに通用しない方向に誘導させてしまっているのではないか。そのため、一つの問いに対してお互いの意見や疑問を言ったり聞くことで人間性や思考力を身に着けさせるべきなのではないか。自分の疑問を相手が受け入れてくれる環境であれば視野が広がり納得することができるのである。僕の学校ではたまにグループで話し合うという時間があるのだが、授業をただ聞くことよりも理解が深まる気がする。また、教わったことを他の人と共有したり話すことで、整理できると思う。実際、紀元前五世紀のギリシャの哲学者である、ソクラテスは話して真理を見つけていた。「ディアレクティック」と呼ばれる相手に質問を投げかけて、考えを深堀りし、矛盾を指摘しながら心理に近づいていたらしい。このような対話によって、他人の意見を通じて自分の考えを見直すことができる。また、批判や疑問を受け入れることで志向が鍛えられ、民主的な議論の礎になっていったのではないか。このように、他の人と自分の考えを共有する環境作りをすることは、社会で必要な思考や受け入れる力につながっていくのである。
確かに、素直に物事を受け入れる姿勢は大切だ。しかし、「教えられたことに黙ってうなずくより、一つの疑問を広げることが本当の知を身につけることにつながる」と言うように、他の人の意見を聞き、教えられたことに対して疑問を持ち、共有していくことが大切なのだ。