「心」を無視すると
   高2 うた(aimee)  2025年4月1日

 「心」とは、と問いかけられた時、あなたは何を思い浮かべるだろうか。友達との友情の間にも心があり、家族の絆の間にも心がある。感情、思いやり、やさしさ、意見を持つこと、私はこのようなものが思い浮かんだ。これらは、私たちが生きていくにあたって、幸福をもたらしてくれるものだ。また、人間性や倫理観は「心」によって成り立っていると考えて良いだろう。しかし、今の世の中では、「心」を無視した、つまり冷徹であることが当たり前のようになっている。不平等や人間関係の希薄化、信頼の崩壊などが容易に起こりうるのである。これらより、私は、世の中が冷徹さによって動いていることが問題だと思う。



 その原因としては第一に、SNSの普及などにより、ネット上での情報のやり取りがメジャーなものとなったことが挙げられる。インターネットの匿名性により、相手の気持ちを考えずに軽率な発言・行動を取れるようになった。また、インターネット上の膨大な量の情報に埋もれ、相手の気持ちは疎か、自分の考えや意見を持つことが少なくなっているように感じる。まるで、本能にまかせて生きる野生動物のようである。これらは、本来私たちはあるべき姿ではないだろう。しかし、これらのことによって世の中が回っているのが現状である。例え、きっかけが誹謗中傷であったとしても、そのコンテンツは急速に注目を集め、広まり、話題になる、つまり「バズる」のであれば、「バズった」というステータスになり、そこから収益が拡大することもあるのである。



 第二の原因としては、資本主義経済のもとで競争が求められていることが挙げられる。資本主義社会では、市場において、成功を収めるつまり売り上げを伸ばすためには、他者を蹴り落とす必要がある。この考えが、人の冷徹さを推進しているのではないだろうか。

チャールズ・ダーウィンの進化論における「自然選択」の概念は、市場での競争にとても似ている。環境に最も適応した個体や種が繁栄し、そうでないものは「蹴り落とされる」形で絶滅するのである。自然界では、生存競争が行われ、人間界では市場競争が行われているのである。「揚げ足を取る」ということわざがあるように、相手の弱点をついて自分が這い上がるというのは、この世の定石なのだろう。



 確かに、冷酷でいることで、有利な立場を維持できたり、自分や誰かを守れたりすることもある。各国の首脳たちは、自分たちの国を第一で考えるのが当たり前であり、そのためなら他国にとっては酷な政策をとることも厭わない。しかし、冷徹さを軸に動く世界では、経済格差や社会的な不平等の拡大、結果に対するプレッシャー、人権や倫理が後回しになるなど、私たちの当たり前の幸せを奪ってしまいかねないことが容易く起こる。私は、今の世が冷徹さで動いていることは問題だと思う。冷徹さは、安定した基盤ではなく、使い方次第で一瞬にして破綻する危ういものだ。「心」がない世界に、幸せは存在しないのである。