触れ合い
()
年月日
今の社会は触れ合う機会が減っていると言われている。様々な機械化や効率化が進み、AIの発達も相まって人と人の触れ合いは少なくなってきている。この触れ合いの減少は今の日本が将来抱えていく問題になるだろう。と、いつもなら簡単に問題提起をするのだが、今回の注目すべき点はそこではない。今の私のように人との触れ合いが減ってしまうことイコール問題だとしてしまう。それこそが真の問題なのである。例えば定期券の購入などだろう。以前までは窓口に並んで購入していたがいまではスマホ一つでできてしまう。しかしこれを私たちは「触れ合いが少なくなるから廃止すべきだ」とは言わない。廃止すべきだという声が増えすぎていってしまうことのほうが問題なのである。ではそうならないためにはどうすれば良いのだろうか。
一つ目の対策として考えられるのは、効率化の重要性をもっと訴えていくことだろう。必ずしも効率がいいというわけではないが、どのような場面において触れ合いが不必要であるかの判別を教育の中に織り込んでいくのだ。今の学校教育は良くも悪くも勉強に特化している。同級生にも「え、これわかんないの?」ということが多々ある。社会に出て生きていく上で必要な知識やマナーなどの教育が行き届いていないのだ。そこの充実こそ、問題解決への一歩となるだろう。触れ合う機会が増えることと、その行為をするにあたっての手間が増えること。この二つを天秤にかけた時どちらに傾くのかをもう一度考えてみる必要があるだろう。
二つ目の対策としては急激な機械化や効率化と共にサポートを充実させていくことだ。小学生すらスマホを持つような時代。今の世の中の様々な場所でスマホは活躍する。駅の改札機や自動販売機、遊園地のチケットやモバイルオーダーなど生活を助けてくれるものが数多くある。しかしそれらの機能を使いこなせていない人たちもいる。前までは人と直接話すことでできていたことが突然機会頼りになり、その場その場で出る様々な疑問に対応しきれないこともしばしば。そんな状況を打破するためにも、いくら無人とはいえ少なくとも1人はその場にいれるようにするなど対策を練る必要があるだろう。最近これを感じたのは某夢の国で遊んだ時だ。昔は紙のチケットに紙のマップを広げて「次はどこに行って何に乗ろうか。」と考えていたが、今となってはオンラインのチケットが主流となりマップも携帯で確認。まして乗り物に乗るのにパスが必要でそのパスはスマホで買うときた。ファストパス的なものを買うにしても一人千五百円ほど取られてしまう。夢の国の価格設定はもはや夢ではなく現実を思いっきり突きつけてくるのだ。
確かに触れ合いが減っていってしまうのは悲しいし、逆にそれが不便な状況を作ってしまっているのもわかる。しかしだからと言って無闇に機械化を遅らせる必要もない。進化のスピードに合わせて周りの環境を整えていってあげることが重要なのである。誰もがその機能を便利だと思い簡単に利用できる社会を目指していくべきなのではないだろうか。