疑問を持つことの大切さ
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年月日
今日の社会では、他人からの教育に疑問を持たない人が多い。私の通う学校では、現在、様々な課外活動への参加が推進されている。先生によると、課外活動に積極的に参加することで、自己アピールの際に努力の証として有効活用できるそうだ。そのため、推薦入試の助け舟として、多くの学生が利用している。しかし、主催者側の本音としては、多大なる資源を投資し、貴重な活動の機会をつくっているのだから、本当にその活動について興味がある人に存分に挑戦してもらいたいだろう。現在は、本当に学びたい人の機会が、入試合格のための材料として利用している人達に奪われているような気さえする。このことから、私たちは、もっと疑問を持つ姿勢を養うべきだと思う。そのための方法は、2つある。
1つ目の方法は、もっと視野を広げることだ。先日、家族みんなでカップアイスを食べた。味は、抹茶・チョコ・ミルク・バニラの四種類だ。私は、抹茶味を選び、アイスが溶けていない、絶品を味わうタイミングを逃したくなかったため、すぐに蓋を開け、アイスの滑らかな口溶けを堪能していた。ところが、姉は未だ、パッケージをぐるぐる回しながら、ミルクとバニラそれぞれの原材料名の項目を比較し、「ミルク味とバニラ味には、何の違いがあるの?」と一人首をかしげていた。ただ美味しく食べたいだけの私にとっては、無関心の話題だ。だが、視点は面白い。確かに、これについては、案外聴かれても説明できない。姉によると、バニラには、バニラエッセンスが、ミルクには、練乳が含まれていることが特徴らしい。食べ比べてもそれほど相違点を感じなかったが、視野が広がり楽しい時間となった。このように一見大したことのない疑問に一つ一つ向き合うことが、いずれ大きな問題に一早く気づく力となるはずだ。
第2の方法は、日常生活のなかで各々が疑問を述べ合えるような余裕のある社会を創っていくことだ。私の理科担当教師のA先生は、小学生の頃に「リンゴ」の英語表記「apple」を習った際、なぜそのようなつづりになるのか疑問に思い、当時の英語教師に質問したそうだ。すると、その先生は「appleはappleなの。」とおっしゃった。当時A先生は、納得がいかず、何度も同じ質問を繰り返した。その英語教師は、その執拗さに焦燥したのだろう、ついに当時のA先生を怒鳴りつけたそうだ。あまりに理不尽な話だが、これは、この英語教師に心の余裕がなく、周囲に疑問を述べ合えるような雰囲気が今一つ足りなかったからだろう。もし、雰囲気づくりができていれば、他の生徒も一緒に、この疑問について思考を膨らませることができたはずだ。このように、疑問が生まれやすく、その疑問を発言しやすい雰囲気づくりをすることが、大前提として大切だ。
確かに、素直に行動することも大事だ。しかし、疑問を持つことで、他方面で興味、関心が高まるとともに、見逃されていた重大な問題を見つけることもできる。「夢があるから行動するのではなく、行動するから夢が生まれる。」という名言もあるように、世の中は、普段当たり前に見ていたものの中に、疑問が山のようにあふれている。まずは、視野を広げて新たな視点からものを見る力をつけ、発見した疑問を述べ合えるような雰囲気づくりに努めることが大切だ。これから私は、このようなゆとりのある雰囲気をつくるために、先生と生徒、上司と部下などの名称上の距離感を縮める交流会や、お楽しみ会などを開催していきたい。