ギ 7.1 ゼネラリストとスペシャリスト
ゼネラリストは、なんでもできる人というよりも、全体をコントロールできる人のこと。 例えば、オーケストラの指揮者、会社の経営者。 鉄鋼王と呼ばれたカーネギーは、「自分が優れていたのではない。自分よりも優れた人を使うことができただけだ」と述べている。 日本の社会では、高校は普通科に進学することが漠然とした前提になっている。 将棋の棋士を目指す人は、中学からプロの道を歩む。しかし、そういう生き方は、日本の社会では特殊だと思われている。 ドイツでは、腕に技術のある職人は社会的に尊敬されているが、日本では技術者よりも管理者の方が尊重される風潮がある。 スペシャリストの価値を評価しない社会は問題だ。 その原因1。欧米に追いつけ追い越せの文化。 原因は、毎回似たものになってよい。そのかわり、実例は毎回違うものを自分で見つけてこよう。 大きく立ち遅れていた日本が進んだ西洋に追いつくためには、何しろ全部そこそこにできるようになることが必要だった。 体験実例:勉強でもスポーツでも、自分が他の仲間より全体的に劣っているときは、まず全部をそこそこに追いつくようにしなければならなくなる。 原因2。日本人の横並び意識。 密集して暮らしているので、他人の家に何かがあって自分の家にまだそれがないと、そのないものを埋めることが目標になりがち。 確かに、日本人の能力は粒がそろっているために、工業化が成功したとも言える。 例えば、工場の労働者で現場作業を中心にする人でも、ひととおり英数国理社の素養がある。こういう素養があるかないかの差は大きい。欧米では、トップさえ優れていれば現場は手足だけでいいとする発想があるが、そういう社会では現場からの改善提案などは生まれにくい。 |