授業の渚 yube-03-2


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 日本人は、よくこう思います。
「サシミと納豆の味は、日本人にしかわからないだろうなあ」
「アメリカには、名月というものがないだろうなあ」
 自分たちの持っている文化の独自性に確信を持つのはいいことですが、その独自性が相手には伝わらないことを前提にした閉ざされた独自性になってはならない、というのがひとつの意見です。
 一方、アメリカ人は、よくこう思います。
「ハンバーガーとコーラの味は、世界中の人がわかるはずだ」
「日本人も、お米なんかやめてコーンフレークにしたら」
 自分たちの文化が、世界中の人にも喜んで受け入れられるはずだという思い込みが、かえって相互理解を妨げてしまう、というのがもうひとつの意見です。
 ここで昔話を例にすると、もし、桃太郎が、鬼が島に鬼を退治にいくという考えを、日本人のように、自分だけの特殊な考えだと思っていたら、犬や猿やキジの協力を仰ぐことはできなかったでしょう。
 もうひとつ逆の例で昔話を引用すると、竜宮城の乙姫様は、アメリカ人のように、浦島太郎がタイやヒラメの舞踊りと玉手箱のお土産を喜ぶと思っていたが、その親切の押し付けは太郎の幸せにはつながっていなかったということです。
 総合化の主題は、「大事なのは、独自性と普遍性が互いに助け合って、地球の文化をより豊かにしていくことだ」のようにまとめるとよいでしょう。