ザ 6.2週 ニュートンが集大成したような(感)
第一段落は、状況実例です。 ニュートン力学が自然科学分野で成功したことによって、社会科学の分野でも機械論的な社会のとらえ方が広まりました。機械論的な社会とは、社会の構造を機械の仕組みになぞらえて説明することです。 この機械論的な社会の反対の考え方は、有機体的な社会、つまり生きた全体のとしての社会です。 ニュートンの運動方程式は、その物の質量や速度が決められれば、その物自体がボールでも犬のフンでも同じように成り立ちます。 この発想で、社会を考えると、例えば、王様とはそういう役割を社会で果たしているだけだから、都合の悪い王様はとりかえようという考えも成り立ちます。 しかし、この調子で、お父さんやお母さんは、子供にとって親という役割を果たしているだけだから、都合が悪ければとりかえることができるとなると、行きすぎという感じがしてきます。 同じように、人間の個体というのは、もともと遺伝子の乗り物に過ぎないのだから、遺伝子さえ伝わっていけば、それがだれでもかまわないとなると、人間の生きている意味が不明になってきます。 しかし、主題は予測問題の主題ですから、この長文の主旨を発展させて、その結果の行き過ぎを問題にしていくといいでしょう。つまり、日本人はもともと有機体的な社会論に傾きやすい傾向がある。社会を生きた有機体と考えると、改革がどうしても遅れがちになり、社会の発展のダイナミズムが失われるのではないか、というのが予測問題の主題です。 第二段落は、その対策。第一は、有機体的な社会は「長いものにまかれろ」式の処世術を個人に要求するようになります。それに対して、個人の自主性を発揮することを対策として考えていくといいでしょう。 金太郎飴式の組織は変化に弱いといわれます。内部の異端を認め、新陳代謝の行える組織がこれから求められているのかもしれません。 体験実例は、組織の和を乱して自分の意見を主張した例など。 第三段落は、対策2。オープンな組織は、停滞することはありません。宗教団体などでも、外部からの批判をシャットアウトするような組織では、自己改革はできません。会社でも政党でも同じでしょう。民主主義や公開性が、これからの組織にますます必要な条件となってくるでしょう。 第四段落は、反対理解とまとめ。 確かに、機械論的な社会論は、殺伐としたばらばらの社会を生み出す面がある。しかし、日本の社会はもともと、有機体的な社会論になりがちな面を持つ。だとすれば、むしろ有機体的な社会のマイナス面に目を向けていくことが今必要なのではないだろうか、などと書いていきます。 自作名言は、「確かに、社会は生きている。しかし、真に生きているのは、社会そのものではなく、その社会を支えている個人なのである」などという感じに。 |