立派です
[ コメントを読む ] [ コメントを書く ] [ 質問の広場 ]
書いた人は●naneさん 2002/09/22 08:32:09
コメント先: 添削お願いしまっす( ●naneさん) 2002/09/22 08:32:09
立派な志望理由です。
別に子供に教育するということにこだわらず、将来の展望は広く考えていくといいと思います。
語彙でちょっと気になるところがあるので、そこだけ赤ペンを。
私が社会学に興味を持った理由は、幅広い視野を持った人間になりたいからである。私は小学校から高校に入学するまで「社会」という学問が不得手であった。私の中の社会とは、単に歴史や人物を教科書に沿って「記憶する」のみであり、社会の表面上しか理解していなかった。しかしそんな私が社会学を専攻した契機は、「政治」を学んだことである。政治の授業の基盤は“記憶”ではなく“追究”であった。自分の視点によってあらゆる角度から社会問題を追究し原因を見出していく。そんな画期的な授業に私は魅了された。
また、推薦入試のため小論文を書き始めたことも、社会学を志望した理由の一つである。実際に自ら調べ論述する小論文では、抽象的な意見や各論だけでは通用しない。「環境問題」の小論文を書いた時、私はこのことを改めて実感した。私は環境問題の及ぼす被害や影響ばかりに感情的に論述し、その奥に隠された問題を追究することは出来なかった。歴史的背景、先進国・後進国の経済格差、国連の内情、拒否権の存在など、地球規模にまで被害をもたらす環境問題の解決を拒む何らかの問題が、必ず存在するはずである。だからこそ、原因を追求し解決へと導かなければならない。
社会問題とは、私達が日常、生活している中で起こる様々な諸現象の融合であり、社会学とは意識しなければ見出すことの出来ない社会問題の原因を発見し、研究していくことであると私は考える。情報が錯乱(錯乱?)する現代社会の中で、私自身も情報の波に飲み込まれ、自分の存在が見えにくく、何を信じ、自分はどのように生きていくのか、その方向性が明確に定まリにくく(「見えにくく……定まりにくく……」と続くと、ややもたつく印象)なっている。そのため冷静に今の社会を見定めていく力を養いたいと思う。
私は将来高校の教師になりたいと考えている。幼い頃から両親の仕事の都合により、何度も転校を重ねている私にとって、教師という存在は支えであり、影響力の強い存在であった。今、教育社会は「ゆとり教育」や「総合的な学習の時間」などという将来世代に配慮した教育改革を行っている。これからの日本社会のみならず世界的に見ても、生きることが困難になる時代が訪れ、よりクリエイトの(クリエイト?)高い人材の生産(生産?)が求められるようになるであろう。その上でしっかりとした基盤を立てた教育が必要である。私の考える教育とは、子供達が自ら学ぼう、知ろうという意識をも津洋に(?)導くことである。理系や文系、学部や学科などに分類されることなく、制限のない学問を意欲的に学ばせることが本来教師に求められる教育ではなかろうか。子供達の自立心を育てるために、まず自分の方向性を明確にし、多角的な視野を持つため明治学院社会学部社会学科を志望する。
コメントを書く
コメントを読む:
[ コメントを読む ] [ コメントを書く ] [ 質問の広場 ]