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書いた人はマキリン on 2002/09/26 01:10:47:

今、教育社会は危機に瀕している。家庭は夫婦共働きなどでしつけが充分に行われておらず、地域も核家族の増大により注意やしつけができていない。その結果、家庭や地域は学校にその責任を押しつけ、いじめや学級崩壊など多くの問題を引き起こしている。私の考える教育とは、生徒が自ら学ぶ意欲、探究心を持たせるように導くこと、そして文系や理系、学部や学科などに分類されることなく、制限のない教育を行っていくことである。私は将来高校教師になりたいと考えている。幼いころから両親の仕事の都合により、何度も転校を重ねてきた私にとって、教師という存在は肉親以外で弾めて尊敬する人物であり、影響力の大きい存在であった。
私自身が社会学に興味を持つようになったのは、高校教師の影響である。私は小学校から高校に入学するまで、社会学系統の科目が不得手であった。私の社会に対するイメージは、歴史や人物などを教科書に沿って「記憶する」ことのみであり、表面上の内容しか理解していなかった。しかしそのような私が社会学を専攻した契機は、政治学を学んだことである。政治の授業の基盤は「記憶する」ことではなく「追及する」ことであり、自分の視点によってあらゆる角度から社会問題を追究し原因を見出していく授業に、初めて学問の本当の楽しさ、難しさを実感した。そして私は、より多くの社会問題を追究し研究していきたい、そのような衝動に駆られるようになった。3年次から小論文を書き始め、尚一層社会学に対して興味が強くなった。実際に自ら調べ論述していく小論文は、私の曖昧な思考では問題の背景にある原因を追求することが困難であり、苦悩した時期もあったが、そのことにより多角的視野を持つことの必要性、重要性を身にしみて感じることができた。
社会問題とは、日常生活の中で起こる様々な諸現象の融合であり、社会学とは意識しなければ見出すことのできない社会問題の原因を発見し、改善のための方策を研究していくことであると私は考える。社会学はいわば多種多様な分野を学ぶことができる、制限のない学問のように思う。あらゆる学問の境界線の中でその隙間を巧みに通り抜け、その境界線をどんどん溶かし浄化していくような、そんな社会学に私は魅力を感じた。情報が錯綜する現代社会の中で私自身も情報の波に飲み込まれ、自分の存在が見えにくく、何を信じ、自分はどのように生きていくべきなのか、その方向性が定まりにくくなっている。社会学を学ぶことによって、その方向性を見出し冷静に社会問題を見定める力を養いたい。
そんな私にとって貴学の「全学共通科目制度」は社会学に留まらず、興味のある心理学や統計学をも履修することのできるとても魅力的な制度である。また、社会学の中でも様々な分野を幅広く学ぶことができ、2年生から専門的な内容に入れることも惹かれた。社会は一人一人の意識によって成り立っている。言い換えれば社会とは人間の意識の集合体である。その社会上で起こる社会問題もまた人間の営みの結果であり、一人一人の意識と密接に関わるものである。社会問題の原因を追究していく中で、それぞれの国や歴史的背景から考察していく支店も重要であるが、一人一人のに威厳の意識や思考から社会問題を追究する支店もまた重要であると私は思う。心理学はそういった心理的解明に焦点を定め、多くの社会問題を解明する社会学と密接に関わる分野である。また統計学は、研究に必要な情報を収集し、データをまとめる作業をする上で必須な学問である。
私は社会学に関わる多くの学問を学び、また時には自ら経験した知識を私が教師になり、後世に伝えていくことによって、個人の限界のある視点だけではなく生徒自身の独自性のある視野を育てていきたい。
以上の理由により私は貴学を志望します。


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