毎月の森リン大賞

森リンの丘

 


8月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部63人中)

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8月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部105人中)

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8月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部124人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 楽しいなこんぺいとう作り M.Kミッキー 73 108543657687
2 大分旅行 なちゃん 72 73339597986
3 クロール泳げたよ ベル 70 70139535993
4 せみをつかまえたこと いれぬ 69 55342537177
5 行ってきまあす ころ 67 39639656789
6 せみのうか コーヒー 66 45537486183
7 あつあつごはんでおにぎり作り 多野河 れんこん 66 51943445484
8 学校のプールで遊んだよ りよと 65 39142515986

 


8月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部126人中)

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 知床で出会った虫 サーサ 76 129947566886
2 雪がつもってくれれば つ~たん 76 114158536587
3 合宿 わにわ 75 63741658589
4 クラスで泊まった岩井 わせや 73 70139597887
5 おにぎりを作ったこと なっち 73 97851446487
6 英語は役に立つ 白うさぎ 72 68244586084
7 お泊りしたこと コスモス 71 535395769102
8 おばあちゃんの家に泊まった事(清書) らりこ 71 70046486379
9 みんな大切 こたこ 70 57841537584
10 武蔵野ジャンボリー わくも 70 57141567381

★1~3位の作文は要約の部分が多かったため、代表作品になりませんでした。
8月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部174人中)


健康が一番
ゆにま
 「やっと着いた。」
 この日は学校の足だった。学校の門が見え、一息ついた直後に足元には、なにもないと言うのに、最後の最後で転んでしまった。最初は、だいじょうぶだと思ったので土をはらい、帰りの会をしていた。なぜだかひざが、ズキズキと痛んだ。土を、はらっただけでは、なおらないので先生に言って保けん室へ行った。よく見たら血がたれてくつについていた。すると先生は、
「これは、ひどいね。土ははたいただけじゃとれないからすぐに水で洗わないときんが入って、もっといたくなるよ。」
と言われ、ちょろちょろと出た水にあたった。水は、そこまでいたくはなかった。
次に先生は、ガ―ゼに消毒液をつけて、ひざにゆっくりと近づけると、
「痛っ!!」                              その時から、ドキドキと心ぞうがはねていた。先生は、
「けっこうひどいね。病院行かないとわからないけど、ぬわなきゃいけないかもしれないね、とりあえずお母さんよぶね。」
と言って受話器をとって電話をかけた。十分後、車で母が来てそのまま病院へ行った。病院では自分の番がくるまで、本を読んでいたけれど頭に入ってこなかった。そして
「溝口さん、どうぞ。」
と若めのかんごしさんがよんだ。私は、ドキドキしながらもう帰りたいという気持ちでいっぱいになった。しかし、足はしん察室にむかっていた。しん察室に入ると丸いいすとつくえが、まってました!と言うように、むかえているようだった。病院の先生は、小さいころやさしかったから、大好きだったけれどなぜか今日はこわく見える。すると先生が、いつものやさしい顔で
「これは、けっこうひどいね。けれどぬう所まではいかないよ、とりあえず長めのズボンはいてあまり運動しないようにしてれば、すぐ治ると思うよ。」
それを聞いてまるで、ケガ治ったかのように、安心した。けれど友達と遊べないし、体育はできない。一週間がたち、ケガが治った。その時はまるでなにかから、出られたかのようにうれしかった。
父は、昔バイクで事故を起こしてしまった事がある。そのことを。知った父の両親が、九州から、すぐかけつけてくれた。しゅ味で乗っていたはずなのに、九州からはるばる来てくれた事のほうが心が痛かったらしい。その事故で、父のゆび一本が動かなくなってしまったのだ。
 ケガをすることでなにか不自由なことにつながる。だから、健康が一番だということがわかった。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 日本人と国際人と外国人 なゆの 81 104256687486
2 国際人とは なゆは 81 145549567392
3 しぼんでも・・・キレイ? ゆはる 79 134844809992
4 健康が一番 ゆにま 79 101946498883
5 カマキリ ひいそ 79 93242598680
6 やってしまったー!  もえも 79 98241647679
7 コンセントが爆発? イクラ 78 125746739883
8 一枚のガラスを胸に入れて わのの 78 89444678381
9 私の身近で痛いこと ゆき 78 76846698189
10 意外と大事? いやく 74 73347526784


8月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部136人中)


想像の一ページ
プリン
 本には私達読者を想像の世界へと導きだす仕掛けがたくさんある。考えたり悩まされたりする疑問や、共感したり納得したりできる知識など。こういった面白い仕掛けに私達は知らず知らずとはまっているのだ。仕掛けにはまることが悪いと言っているわけではない。むしろ、仕掛けにははまった方がもっと読むことが楽しくなり、興味もわくのだ。たとえ読んだ本の内容が全てわからなかったとしても、それは大人になってお気に入りの一冊になるかもしれない。また読んでも関心がわかない本があっても、それは決して間違いではない。全ての人間が同じ本を読んで、同じように感じなくてもよいのだから。
 では本の仕掛けの話について、私は以前「本の力」を感じる記事を目にした。それはインターネットやスマホ(携帯電話)の利用が増え、本や新聞を読む人が減ってきているということだ。最近インターネットやスマホの機能がとても進化しており、私達の社会生活が少し「電子化」しつつある。確かに情報が指一つで簡単に探せ、様々なアプリによって気軽に検索することができることは非常に便利である。しかし独特の表現や奥深い言葉は、紙でできた新聞や本でしか味わえないと思う。画面ばかりに頼るだけではなく、字と向き合い想像して創造してみてはどうだろうか。
 人によって感じ方や想像の仕方は自由だ。だから一つのことからでも、異なったたくさんの考えがある。例えばレストランでの食事である。メニューには「とろけるモッツァレラチーズのトマトスパゲティ」とおしゃれでおいしそうなメニューが載っていた。だが実際に運ばれてきたのは、まるで赤い山に白い塊がコロコロ転がっているような一皿だった。メニューの「とろけるモッツァレラチーズ」はどこにも見当たらなかった。他の人はどこまで許せるかわからないが、私は正直ショックだった。
 このような後悔した経験は誰にでもあるだろう。しかしこの後悔を恐れていては新しいことへふみ出せない。本もそうだ。迷わず本を開けば、きっと楽しい未知の世界に出会えるはず。
 さあめくろう、想像の一ページを。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 想像の一ページ プリン 81 86853737895
2 小さな社会 わてけ 80 1084439510186
3 すてきな落とし物 わめも 79 106447699184
4 ユーモアのセンス らうみ 79 118644748887
5 痛い経験 みいた 79 98151637880
6 ゴム よれも 79 86852637289
7 ユーモアも大事 ゆにや 79 89348717292
8 読書を通じて 赤髪のとも 77 84642687781
9 家族 たろろ 76 84146627380
10 お父さんありがとう ゆかみ 76 81742606692

 

8月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部89人中)


自然と共存
レモン
 私は、自然から多くの物を得ることは良いことだと主張したい。
その理由の第一は、自然という物は人間にとって気分をリラックスさせてくれる空間であると思えるからだ。それに加えて自然の緑は目にも良く心を落ち着かせてくれる効果がある。心が落ち着くということはたぶん自然の空気を吸い込むと気持ちいいと思えるからだろう。私も似たようなことを思ったことは何度もある。つい最近もこのよう感じた。この夏、家族でアメリカに観光旅行に行った。アメリカの南西部カリフォルニア州南部の大都市ロサンゼルスに家族で九日間旅行に行った。ディズニーランドのような人工的な観光地だけでなく、グランドキャニオンやヨセミテのような国立公園を訪れて大自然を目の当たりにして、そのすばらしさを満喫してきた。その中で一番自然を感じられたのは、ヨセミテであった。眼前に雄大な光景が広がるグレイシャーポイントでは、岩と水と緑の大地とそれに覆い被さるを雲一つ無い真っ青な青空に囲まれ、思わず
「すごい。」
と感嘆を漏らした。日常の生活での全てを忘れ去り、心の核からリラックスさせてもらった。呼吸する空気もよどみが無く、呼吸した空気が血液で循環し体中が純化されたような感覚であった。私の肺もまるで空気を吸うことを喜んでいるように、私はその存在を意識した。このように自然は私達をリラックスさせてくれる空間である。
第二の理由としては、自然の力は大切な物だからである。人間が呼吸できているのは自然の恵みである。また雨を降らせてくれたり太陽の光を与えてくれたりするので日々暮らしていける。これは自然の力だと言うことを忘れてはいけない。人工で出来るところも限度があるに違いないと私は考える。人工物は自然という大海にその上にほんの少し水滴を垂らしたような物であって、自然無しに人工は成り立たないのである。もし人工で何でも出来るからと勘違いで思いあがって自然を無くしてしまったら、世界は混乱状態に陥ってしまうに留まらず崩壊してしまうだろう。
 確かに人間が自然を思うままに荒らしていくと、すなわち自然から多く物のを取りすぎると、自然からしっぺ返しが来るという意見もある。しかし、
「良い友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。」
という名言があるように、人間が自然と共有して生活を送ろうと意識すれば、竹篦返しなどはこないだろう。共有して生活を送るということは、自然を理解してそれを壊さないことを前提に自然から物を得るということである。それは決して無理なことではなく、人類なら可能なはずだ。
 だから私は、自然から多くの物を得ることはよいと主張する。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 自然と共存 レモン 86 110158798892
2 プライドとは リリア 86 120261647487
3 土台 わわあ 86 132666687383
4 舵と像 らもさ 85 110357768380
5 日本に帰ってきて(清書) らりし 85 196851647590
6 貫き通す信念 マーフィー 84 125367646781
7 自信の輪 みんみ 81 109652648180
8 自信を持って らめき 81 105148807990
9 自然と人工 らたち 80 99252667281
10 人に流されるよりも みるく 80 114164526287

 
★1位の作文は要約の部分が多かったため、代表作品になりませんでした。
8月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部83人中)


経験を積み重ねていく自由
星のかぁびぃ
 最近、街中での障害(ハンデ)を持つ人に対しての「バリアフリー」や「手助け」が増えてきている。車椅子の人が上り坂の前で困っていたら、自ら進んで車椅子を押す。目の不自由な人が駅の券売機の前で困っていたら、行き先を尋ねて一緒に切符を買う。そのような光景を多く目にするようになった。普通の人から見れば善い行いをしていると思える。しかし、私たちが思う障害者に対する手助けは、本当にその人たちにとって「ありがとう」と言ってもらえるような行いなのだろうか? 
ハンデのある人に対しての手助けは大切だ。中学校では、毎年、一年生が車椅子の講習を受ける。私も二人組になって、車椅子に乗る人と押す人を交代で体験したのだが、両方ともしてみることで、いかに手助けが大変で大切かを知った。まず、押す側を体験したが、台の上で車椅子をUターンさせようとしても思い車椅子を押しなれていない私は、なかなか思うように回せず苦労した。次に、乗る側を体験してみると、台から落ちそうなほど端に近付く度に、とても恐怖を感じた。「車椅子で生活している人は、転げ落ちるかもしれない恐怖を何回も味わうのか」と思うほどだった。また、「一人で行動しているとさらに怖いのかもしれない」とも思った。「手助け」は車椅子に乗っている人に安心感を与えるという大きな役割を持つということを実感した。
 しかし、その大きな役割を持つ大切な行動が、日本人は得意でなく、あまりできていない。「誰かがやっているのを見て、自分もする」というのが基本になってしまい、自ら進んで声を掛けようという勇気が持てなくなってきている。手助けをしようと思っていても、周囲の目が気になって思いとどまってしまう。だが、勇気を出して、「大丈夫ですか?」さらに「良かったら、お手伝いしましょうか?」と言える手助けのきっかけを作れる人がこれから増えていけば、日本全体の意識が変わり、優しさの輪がどんどん広がっていくだろう。
 一方で、ハンデを持つ人たちの「自分で物事に挑戦する意思」は、尊重しなければならない。
 車椅子生活をしている青海恵子さんが書いたエッセイ「ユージーンへの旅」には、こんなことが書かれていた。
 アメリカのユージーンは東京と違って、街の中に障害者がいることで、人の流れが変わらない街だった。「障害者に理解を示す」のではなく、そこには「大人」と「大人」の関係があった。日本で障害者が「大人」扱いされないわけではない。しかし介助者が一緒にいるだけで、大人と子供のワンセットになってしまうこともある。つまり障害者は「障害を一つの属性として持つ人間を、人間として真っ直ぐにみる」ということができるかは社会が障害者をどう位置づけるかによって決まる。
 それを読んで、私はハンデのある人に対する「障害者=弱者=私たちより下」というような位置付けがどれだけ自由を阻み、自分から行動できなくさせているのかを考えるようになった。
 ハンデのある人は「かわいそう」と思われがちである。「~ができなくてかわいそう」と。だが、その「かわいそう」という見方は、「健常者より下」という日本社会がハンデのある人に対して位置付けた間違った見方なのである。私も、やりたいことを「できないでしょ、だからやらなくていい。」という見方をされて挑戦する機会すら与えられないのなら、とても心が痛くなるだろう。仲間外れにされた気分になる。「経験を積み重ねていく自由」を持つ権利を、誰しもが奪われてはいけない。私たちは、そのことに気付くべきだ。
 確かに、手助けをしてハンデのある人をサポートすることも、「やりたい」といういしを尊重することも大切だ。しかし、「存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある」という頃場があるように、健常者かハンデのある人かを考える前に、同じ人間であるということを最初に考えられるようになることが、宝塔の人権を考え、またハンデのある人への思いやりの第一歩となるのではないだろうか。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 情報の適切な利用方法 Midoris 86 113656738290
2 経験を積み重ねていく自由 星のかぁびぃ 86 165666707783
3 子供のころに道に の清書 わかよ 85 128349737792
4 「食べられる」か(感)清書 タイチ 85 123259686892
5 無駄なこと らみわ 83 106456687184
6 知識をどうすべきなのか りすっぴ 83 106956737087
7 情報と経験 きろせ 79 86354918380
8 必要と無用の調和 彌織 79 89948747896
9 私の家族 あふり 78 108149648584
10 古いものと新しいものどちらが大切…? らもえ 78 85452747783

 

8月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部38人中)


「優れた」を見直して
くるる
 「お客様の満足度なんと、九十五パーセントです。」
よくテレビのコマーシャルで流れるフレーズ。他にも、店先のポップを見て欲しいという衝動に駆られたり、誰かに薦められたり良かったという他人の声を聞くと使ってみようかなと気持ちが揺らぐ。私達は、「優れた」という言葉に弱い。自分が体験したことないだと他人の「優れた」という言葉にひかれてしまうのだ。だが、それは相手の人に良かった物であって自分に合うかは分からない。私は、優れた物に近すぎすぎないような生き方をしたい。そのためにはどうすれば良いのだろうか。ここで二つの方法が挙げられる。
 その方法は第一に、広い視野を持つことだ。世の中、優れているものは優れている。しかし、優れているものにだって何らかの欠点があると思う。例えば、ある市販のクリームが万能なかゆみどめだったとする。それは口コミも良く、多くの芸能人が愛用している人気のものであっても、人には合う合わないがある。いくら優れていてもその人に合わなければ、なにも意味がない。そのためにも、視野を広げるのだ。広範囲にすることで、自分に一番合うものに出会えるかもしれない。優れているときめたのは、この世界のだれかで、その基準は社会全体の平均だ。だから、誰にだって合うというのは無理がある気がする。大切なのは、自分に合うものを求めることだ。
 その方法第二に、他の意見を聞き入れて取捨選択することだ。自分の意見のみを選択して生きている人はただの頑固者にすぎない。確かに、人は人、他人は他人と割り切るのも大切だ。しかし、他の意見とは、自分を大きく変えられるチャンスだ。優れたものが良いと思うのには理由がある。それが自分にとってどのような影響をもたらすのか。人には人の考えがある。感じ方や考え方も人の数だけ存在する。その意見を自分で飲み込み、じっくり考える。多様な意見を混ぜ合わせることで、新たな自分の意見が生まれるのだ。優れたものに近づき過ぎると、他の人の意見を丸のみにしていることとなる。自分の意見を大切にするからこそ優れたものからは一歩引いておくことも必要かもしれない。
 確かに、影響力のあるものへと近づき自分を見つめ直すことが必要だという意見もある。しかし、「できあがった規則をなんとか守ろうとするよりも、実態に合わせて規則を変えていくことが、真の規則を生かす道である。」という名言があるように、世間の優れたものに便乗するよりも、多様な意見を取り入れて自分の考えを持つべきだ。だから私は、優れたものには近すぎすぎないような生き方をしたい、。これから私は、世間の考えと自分の考えを比較し、自分なりの新たな考えを生み出していきたい。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 「優れた」を見直して くるる 81 111456596983
2 自分で体験するということ りなこ 77 86152746795
3 花の絵を描き始める時 わえふ 73 71046506096

 
★1位の作文は要約の部分が多かったため、代表作品になりませんでした。
8月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部142人中)


幸せの追求
にゃーみ
 目の澄んでいる新鮮な魚。最上級ロースのステーキ。家でのんびり家族と過ごす休日。10日間のヨーロッパ旅行。どっちもいいものでどれが一番かはひとによって違う。お金に関してもそうである。私たちのように先進国に住んでいる人々にとってお金は沢山あったほうが良くて、収入もある程度のステータスとなる。だが、途上国では訳が違う。一日に一ドル以下といういわば極貧でも幸せに暮らしている人々がいる。お金も幸せになる手段の一つだがそれだけで幸せになれるわけではない。私は、周りに左右されずに自分にとっての幸せを追求していくべきだと思う。
 自分なりの幸せを追求する方法としては第一に、自分の長所と短所をまるごと受け入れることである。私は自分に対し余り自信がない。胸を張れるところは少しあるがやはり他人の長所に目が行ってしまう。すぐに直せるものならまだしも、それは大抵容姿や性格の類で何とかなるものでもない。それに悩んでしまったり憤りをかんじてしまったりする。だが実際のところ思い切っていやな自分を受け入れてしまったほうがらくなのである。その上で自分はどのようにすれば幸せになれるかをかんがえてみたりする。そうすると思いのほか頭の中がすっきりとしていろいろと考えが巡りやすくなる。
 自分なりの幸せを追求する方法としては第二に、時代のニーズや傾向を読むことである。 成功した人を良く見ると、皆何かしらの方法で時代に合った快挙をなしとげている。ナイチンゲールは戦争の多かった時代に戦場における看護婦の立場や医療行為の向上に成功した。フォードは、まだ人々が速く走れる馬の種類を欲していた時代に馬では一生及ばぬスピードの車を開発した。意図的であってもそうでなくとも、史上の大勢の成功者たちはそれぞれの時代の流れに沿った成功の仕方をとっている。成功とみなされるには大勢の人間にみとめられなくてはならないが、これもまたその方法のひとつではないだろうか。
 確かに、周りの大衆と同じ幸せの概念を持っていれば生きやすい。でもそれでは心から幸せることは難しい。いくら他人と合わせたところでその人生の責任は自分にある。どんな人生になろうと死ぬ間際に満足したといえる人生を歩むことができればそれでいい。私はじぶんを受け入れて時代のニーズや傾向を読むことで自分にとっての幸せな人生を歩みたい。

順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1 科学が人間にもたらすものには まうり 88 120658738193
2 幸せの追求 にゃーみ 86 97562778590
3 自己確認 ききも 86 154558747784
4 平等の真実 トレジャーハンター 85 128161617292
5 今でも「マルタ」は残っている れたす 84 15175811110790
6 子供のころに道に(感) わよつ 84 984621049890
7 歴史の本質 しちみ 83 107357989292
8 新しい伝統 カツ丼 82 100358807389
9 自信の付け方 枕草子 79 81249838283
10 オイル・ショックが生じた時 百合 78 8734912010989



2024年07月の森リン大賞 |  2024年06月の森リン大賞 |  2024年05月の森リン大賞 | 
2024年04月の森リン大賞 |  2024年03月の森リン大賞 |  2024年02月の森リン大賞 |  2024年01月の森リン大賞 |  2023年12月の森リン大賞 | 
(23年8月~23年11月未集計) |  2023年07月の森リン大賞 |  2023年06月の森リン大賞 |  2023年05月の森リン大賞 |  2023年04月の森リン大賞 | 
2023年03月の森リン大賞 |  (20年10月~23年2月未集計) |  2020年09月の森リン大賞 |  2020年08月の森リン大賞 |  2020年07月の森リン大賞 | 
2020年06月の森リン大賞 |  2020年05月の森リン大賞 |  2020年04月の森リン大賞 |  2020年03月の森リン大賞 |  2020年02月の森リン大賞 | 
2020年01月の森リン大賞 |  2019年12月の森リン大賞 |  2019年11月の森リン大賞 |  2019年10月の森リン大賞 |  2019年09月の森リン大賞 | 
2019年08月の森リン大賞 |  2019年07月の森リン大賞 |  2019年06月の森リン大賞 |  2019年05月の森リン大賞 |  2019年04月の森リン大賞 | 
2019年03月の森リン大賞 |  2019年02月の森リン大賞 |  2019年01月の森リン大賞 |  2018年12月の森リン大賞 |  2018年11月の森リン大賞 | 
2018年10月の森リン大賞 |  2018年09月の森リン大賞 |  2018年08月の森リン大賞 |  2018年07月の森リン大賞 |  2018年06月の森リン大賞 | 
2018年05月の森リン大賞 |  2018年04月の森リン大賞 |  2018年03月の森リン大賞 |  2018年02月の森リン大賞 |  2018年01月の森リン大賞 | 
2017年12月の森リン大賞 |  2017年02月の森リン大賞 |  2017年01月の森リン大賞 |  2016年12月の森リン大賞 |  2016年11月の森リン大賞 | 
2016年10月の森リン大賞 |  2016年09月の森リン大賞 |  2016年08月の森リン大賞 |  2016年07月の森リン大賞 |  2016年06月の森リン大賞 | 
2016年05月の森リン大賞 |  2016年04月の森リン大賞 |  2016年03月の森リン大賞 |  2016年02月の森リン大賞 |  2016年01月の森リン大賞 | 
2015年12月の森リン大賞 |  2015年11月の森リン大賞 |  2015年10月の森リン大賞 |  2015年09月の森リン大賞 |  2015年08月の森リン大賞 | 
2015年07月の森リン大賞 |  2015年06月の森リン大賞 |  2015年05月の森リン大賞 |  2015年04月の森リン大賞 |  2015年03月の森リン大賞 | 
2015年02月の森リン大賞 |  2015年01月の森リン大賞 |  2014年12月の森リン大賞 |  2014年11月の森リン大賞 |  2014年10月の森リン大賞 | 
2014年09月の森リン大賞 |  (2014年7~8月は未集計) |  2014年06月の森リン大賞 |  2014年05月の森リン大賞 |  2014年04月の森リン大賞
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2012年12月の森リン大賞 |  2012年11月の森リン大賞 |  2012年10月の森リン大賞 |  2012年09月の森リン大賞 |  2012年08月の森リン大賞
2012年07月の森リン大賞 |  2012年06月の森リン大賞 |  2012年05月の森リン大賞 |  2012年04月の森リン大賞 |  2012年03月の森リン大賞
2012年02月の森リン大賞 |  2012年01月の森リン大賞 |  2011年12月の森リン大賞 |  2011年11月の森リン大賞 |  2011年10月の森リン大賞
2011年09月の森リン大賞 |  2011年08月の森リン大賞 |  2011年07月の森リン大賞 |  2011年06月の森リン大賞 |  2011年05月の森リン大賞
2011年04月の森リン大賞 |  2011年03月の森リン大賞 |  2011年02月の森リン大賞 |  2011年01月の森リン大賞 |  2010年12月の森リン大賞
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