毎月の森リン大賞
森リンの丘
12月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部85人中)
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12月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部125人中)
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12月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部140人中)
12月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部126人中)
★1位の作文は要約が多かったため、代表作品にはなりませんでした。
12月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部164人中)
おいしいっ
ゆっきー
私はこの前の三連休に、金沢と富山に行きました。観光したり、温泉に入ったりしましたが、とくに食べ物のおいしさが心に残りました。旅行で食べたもので美味しかったものは、お母さんが、香箱ガニ、妹は新幹線弁当、お父さんが二日目の宿(黒薙温泉)で食べた三歳の天ぷらだそうです。さすが、妹は幼稚だなと思いました。
私が食べたものの中で第一位のおいしさだったのは、金箔ソフトクリームです。金箔は金沢県の有名な特産品です。なぜあのきらびやかな金箔がどんなソフトクリームになっているのかと、みんなはきっと、はてな、と思ったことでしょう。実は、これはソフトクリームの上に、金箔が一枚どんと乗っているのです。皆さんはただの金箔の粉がかかっているソフトクリームを思いうかべたことでしょう。ちがいます。なんと、一辺が十センチメートルくらいある金箔が一枚丸ごと載せられているのです。私も最初は驚きました。けれど、見たとき、「よっしゃ」と思いました。めちゃ気前がよいからです。食べた後も「おいしっ」と思いました。私は体の中から黄金の力がみなぎってくるようでした。
おいしかったもの第二位は、鱒ずしです。円形で、笹の葉にくるんであります。特選二枚重ねと、普通の一枚がありました。食べてみようと思ったきっかけは、お母さんがお昼に食べていた「海鮮美人」という金沢駅で買ったお弁当の中に入っていたからです。お母さんが私に一口くれたとき、はじめて食べたのですが「おいしっ」と思いました。
ここで無駄話を少しします。帰り、新幹線で食べるお弁当を考えていたとき、鱒ずしがあったので、もう一度食べたくなり、それにしました。もちろん、特選があったので、特選にしました。それで、新幹線に乗ってから、期待して食べたのですが、一枚の鱒ずしと、味は五十歩百歩でした。一瞬、ががーんという残念な気持ちでしたが、ここで食べないで残しても、お魚さんの命が可哀想だ、と思って、一生懸命食べました。結局、そんなに気にせず、美味しく食べてしまいました。さらに、まだおなかがすいていたから、妹の新幹線弁当ももらって、チキンライスの部分だけ食べてあげました。(笑)
今回の旅行では、生まれてはじめて食べたものがたくさんありましたが、どれも想像していたよりずっとおいしかったです。何でも挑戦して食べてみる、ということが大事だと感じました。きっと食べ物だけでなく、いろいろなことに通じると思います。これからもいろいろなものにチャレンジしていきたいです。
12月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部125人中)
勉強の本来の意味
工藤コナン
私はよくがんばり屋さんだと言われる。そのことに自分でもなっ得することが多い。だが、がんばれるのは興味のあることだけで、きらいなことはがんばる気にはなれない。例えば、私が日本で四年生の時に面積の勉強をした時のことだ。ふだんは算数が好きな私は、面積の授業の時だけは、がんばる気になれなかった。それはなぜかというと、アールやヘクタールといった、一度も聞いたことがない言葉がいきなり授業に投入されたからだ。私ははじめから面積の求め方がきらいだ。そこに「アールとは何平方メートルですか?」と聞かれたら、もう無理だ。私はその後もずっとがんばる気がせず、テスト前はピンチだった。あせった私は、テスト直前に算数の教科書を急いで開き、テストに出そうなことを全て覚え、テスト用紙にうつした。結局テストの点数はよかったが、今はもう、まるで消しゴムで消されたように全く覚えていない。
母も私と同じで、がんばり屋さんだ。母は今、ブラジルの歴史を学ぶ日本人のグループに所属している。自分の住んでいる土地の歴史を知ることはとても重要であると母は言う。このグループでは、レポートを作る機会もあって、母は張り切って勉強している。母はグループに入る前から歴史は好きだった。だが、ブラジルの歴史は全然知らず、知っていた日本の歴史とあまり関係がなかったので、興味もなかったそうだ。けれど、グループに入ると母はすぐに興味を持ち始め、今では様々なことを考えるようになったと言う。例えば、ブラジルにいる日系人の人たちを見ると、どんな過去があり、どんな努力をして今のブラジルができてきたのか、などを考えるそうだ。母はブラジルの歴史に興味を持ち、ここに住んでいる間にもっと勉強して、充実したブラジル生活をしたいとがんばっている。
人間にとって勉強とは、自分がやりたいからやるものであって、無理やりやらされるものではない。無理やりやらされてしまうと、私が面積を習った時のように頭に入らず、一度覚えてもすべてわすれてしまう。だが、母がブラジルの歴史を学ぶように、好きでやる勉強、やりたいからやる勉強は、自分の目標に役立つだろう。これから私は、夢に近づくためだと思って、自分から進んで勉強をしたい。
★1~4位の作文は要約が多かったため、代表作品にはなりませんでした。
12月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部83人中)
いつか終わりはくる
レモン
私は、人生には終わりがくることを意識して生きることは大切だと考える。
その理由として第一に、終わり(締め切り)がないとだらだらしてしまい時間を無駄にしてしまうからだ。締め切りがないと頑張ろうという気がしなくなる。締め切りがある御陰でその日までに頑張ろうと思うことができる。私にも似た話がある。私の学校では、一年に中間テストが二回、期末テストが三回、課題テストが一回、実力テストが一回ある。先生がテストをする一ヶ月くらい前に、
「またいつかテストをするかもしれないので勉強しておいて下さい。今のところする予定にしていますが、どうするかまた今度、隣のクラスの先生と話し合って決めたいと思います。」
とおっしゃったら頑張って勉強しようと思わなくなるだろう。人間は曖昧な表現をされたとき自分にとって良い方や楽な方になると勝手に想像してしまう。締め切りがある御陰で計画をきっちりと立てることができそれに打ち込む込むことができる。一つ一つの締め切りの目的は小さくても全て合わせるとまるで人生の決断のように大切だ。締め切りがないとその大切な時間を無駄にしてしまうのだ。締め切りの御陰で私達は目の前やるべきことに前進して取り組むことができる。
第二の理由としてあげられることは、締め切りがある御陰で充実して生きることができるからだ。終わりがないと感じていると充実して過ごすことができない。できるかもしれないが、終わりがあることで一層充実出来る。しかし、現代人はすぐ自殺するという社会問題がある。自分から人生の終わりを迎え入れ、命を絶ち切ってしまうということだ。動物たちは明日の朝を迎えるため、朝日を見上げるために命の終わりがくるかもしれないが一生懸命自分より強い相手から逃げる。活動しているとき不安があるがとても充実している。いつ食べられるか分からないけれど、逃げ切れるだけ逃げる。動物は、死は付きものだと考えていつも行動している。生き物は、人生の終わりを意識して過ごしているのでより充実して生きていける。人間も生き物の一首ではないだろうか。
確かに、人間の場合死を意識し過ぎると反対に怖くなりいても立ってもいられなくなると言う意見もある。しかし、大切なのは「健康らしいが外見ではなく、健康自信である」という名言があるように、死を怖がらずに心や体をリラックスさせることが良い。だから私は、改めて人生には終わりがくることを意識して生きることは大切だと感じた。私達に与えられた時間を精一杯使うことが大切なのである。
12月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部84人中)
資本主義と社会主義ともう一つの考え方
りすっぴ
私は合唱を習っている。何年か続けている内に、この合唱というものは個人と全体のすみ分け、あるいはそれぞれの長所と短所が絶妙に混ざり合ってできているのではないだろうかと考えついた。経験がある方は覚えがあるかもしれないが、合唱は一人だけ必死になっても上手くいかない。むしろそのことが歌の崩壊につながりかねないのである。全体できれいにハーモニーを作るときなどは全体のことを考えて、ぐっと抑えて周りに合わせなければならない。合唱は一人で歌うものではないので、全体の均衡をとらなければならないときもある。しかし、そうやっていつも周りの声に埋没しているばかりだと、ソロパートを任してもらうことなどとてもできない。ある程度の自己アピールは必要だ。このように相反する二つの主張が存在するのが合唱である。個人の利益と全体の利益。どちらが大切なのだろう。
確かに、自分の利益を考えることはもちろん大切だ。全体の利益を追い求めるあまり、自分が倒れてしまってはどうしようもない。資本主義に代表されるように、相手と競争し自分の利益を多くしようと動くことが、全体の成長を促すこともあるだろう。私はある時、一つの事柄に対して賛成か反対かをチームに分かれて議論するという体験をしたことがある。ディベートというらしい。ちなみに題材は『優先席は必要か不必要か。』だった。これを何度か繰り返す内に分かってきたのだが、議論の時には自分の意見を持っていないと最初の主張を貫けない。それもすぐに撤回してしまうような生半可な意見ではだめだ。まずは自分がしっかりすることである。
しかし、全体の利益を考えることも大切だ。先に述べた、自分の利益を追い求める資本主義的な考え方は、個人の間で距離がひらいてしまいがちだ。時には社会主義的な全体の利益を追い求める考え方も必要である。私は、かつてこんな体験をしたことがある。それは、作業の進め方についてだった。私が考えた進め方よりも友達の考えた進め方のほうが良く思えたので、私は自分の意見を撤回させた。結果、作業の効率は上がり、私の選択は正解だったように思う。全体の利益を考えたとき、自分の意見を取り下げるべき時もある。昔話の『桃太郎』でも桃太郎が鬼退治に行ったのは自分のためではなく、村全体のためを思ったからだ。犬やキジや猿も村を救いたいと思ったからこそ、桃太郎についていったのだろう。往々にして、人は誰かのために頑張ろうと思ったとき、自分のためだけの時よりも力が出るものである。
このように自分の利益を考えることも全体の利益も考えることもどちらも大切だ。しかし一番大切なのは、『私たちの幸福が、ほかの人々の不幸にささえられているのであってはならない。』という名言もあるように、自分の利益の追求が他の人々に利益に結びつくような社会を作ることだ。自分の利益を追求していくことによって、社会の利益も増える。個人が独立して集まっているのではなく、全て一緒なのだという全体意識が必要である。先に述べた合唱の話になぞらえると、みんなが団の一員として、利益が共有できる合唱を目指すべきなのだ。
12月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部36人中)
重みのある時間
くるる
「チック、タック、チック、タック。」
時計は休むことなく正確に時を刻んでいく。しかし、いつ人生や時間の終わりが来るのか分からない。だから、私は一瞬一瞬を大切に悔いのないような生き方をしたい。そのためにはどうすれば良いのか。そこで二つの方法が挙げられる。
その方法は第一に、自分の目標や夢を大切にして、貴重な時間を無駄がないようにすることだ。自分の人生は、自分のものである。自分自身のみが何をするか決定権を持つ。なりたいものやしたいことという夢を持つべきだ。その夢に対して、目標を持つ。目標を達成するためにいろいろな方法を考えて、そのゴールにたどり着くよう努力をする。私は、言語に関わる仕事に就きたい。そのためには、英語の取得が必要だと思う。英語というツールは、私の夢に向かうための目標である。人生はたった一度のきりだ。したいこと、なりたいことを目一杯して楽しむのが、自分がにとって有意義なものなるのではないか。目標を掲げて、自分の夢に向かって一歩一歩着実に進んでいくべきだ。
その方法は第二に、何も考えずに時を過ごすことではなく自分から周りに意識を向けて過ごしていくことだ。ぼぉっと何も考えていない時間が最も早く過ぎてしまう。例えば何気なくテレビを見ている時はすごく時間が過ぎるのは早いのに、勉強中は時間の流れがゆっくりな時がある。普段の生活の中で何も考えていない時間は多くの存在する。しかし、その時間を他のことに時間を充てれば自分にとって有意義なものになる。私達は、限られた時間の重みを考えなければならない。しかし、時間は限りなくある訳ではない。いつか終わりは来てしまう。少しオーバーだが、よくテレビや本で出てくる余命宣告というのがある。余命宣告を受けた人は、残りの時間だけ必死に生きようとするのだ。または、1日1日を大切にして生きる。生きていられる時間に感謝しながら生きていく姿はいつも感動させられる。私の命が明日で終わるかもしれない。逆に、100年後かもしれない。そう考えると何気なく過ごしている時間やぼぉっとしている時間の使い方を意識して、自分にとって悔いのない日々を送るべきだ。
確かに、人生の終わりというケースを考えながら生きると、何に対しても消極的になってしまうという意見がある。また、何気ない時間だって私達には大切な時間である。しかし、「私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。」という意見があるように、たった一度の人生のなのだから悔いのないよう有意義なものにするといいのだ。だから私は、いつ人生の終わりが来るかわからないのだから、一瞬一瞬を大切に悔いのないような生き方をしたい。これから私は、できるだけぼうっとしている時間に気付き、減らしていくようにしたい。
12月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部124人中)
作業から活動への一歩
れたす
「冷たくて手が全然動かない!」
この寒い冬は、ピアノを弾く上で大敵だ。なぜなら、すぐに手が冷えてしまい動きが鈍ってしまうからだ。そうして上手に弾けない自分にイライラする。私たちは、試行錯誤を大切にするべきだ。そのためにはどうしたら良いだろうか。それには二つの方法がある。
第一の方法は、自分で限界を決めないことだ。私は、来週ピアノの発表会に出ることになっていて、そこではシューベルトの即興曲Op90-4という曲を弾く。この曲はテンポが早く音域も広い。右手は常に細かい動きをしていて、右手一つでメロディーと伴奏を受け持つようなところが多くある。そのため四、五回これを弾いただけで腕が重くなってしまう。だが、本番が来週に迫っているのでそのようなことも言っていられない。よくピアノの先生から、ただ弾くだけではなく、演奏を録音して客観的に評価するように言われる。確かに、自分では強弱やテンポ、間の取り方などをすごく意識していても、いざ自分の演奏を聴くと違いがあまりわからない。だから、より意識して弾いてみようと思える。また、今まで全く意識していなかった部分も少し弾き方を変えてみようと思うことができる。このように、最後の最後まで工夫をすることで自分もお客さんも納得できるような演奏が出来上がっていくのではないか。
第二の方法は、効率ばかりを求める社会を見直すことだ。ここで、就職活動というのはなぜこんなにも機械的なのだろう。まず何枚ものエントリーシートを用意し、手書きと言ってもエントリーシートの記入パターンが載った本を片手に、自分の本意と異なることを書き綴る。次に、面接に行き予想していた質問と答えを頭に浮かばせながら話をする。そして不採用の場合には、気持ちが感じられないいわゆるお祈りメールが届くのである。近年、就職活動が原因で自殺する若者が増えているという。確かに、このような機械的な作業を何度も繰り返し、それでも報われないとなれば誰でも気が参ってしまうだろう。これには間違いなく今まで効率を求めすぎた社会に原因がある。この現状を打破するために、もっと一人一人を見つめるような採用の仕方に変えるべきである。効率という考えから少し離れてみれば、今の社会に必要なことが見えてくるに違いない。
確かに、短い時間の中で完成させる工夫も大切だ。しかし冷凍食品とは、人を不健康にするために発明されたのではなく、働いていて時間のない人でも食事がとれるように発明されたのである。このように、この発明は真心の上に成り立っている。冷凍食品が完成するまでの過程には、時間の速さを求める以前に、現状やニーズの調査やどのようなものを作ればより快適な生活を送れるかという思考錯誤があったはずだ。だから私たちは、試行錯誤を大切にするべきだ。私は、人々を感動させられるような演奏を目指し、練習を頑張っていきたい。
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(20年10月~23年2月未集計) |
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2011年07月の森リン大賞 |
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2010年09月の森リン大賞 |
2010年08月の森リン大賞 |
2010年07月の森リン大賞
2010年06月の森リン大賞 |
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2010年04月の森リン大賞 |
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2010年02月の森リン大賞
2010年01月の森リン大賞 |
2009年12月の森リン大賞 |
2009年11月の森リン大賞 |
2009年10月の森リン大賞 |
2009年09月の森リン大賞
2006年9月~2009年8月までの森リン大賞
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