毎月の森リン大賞
森リンの丘
9月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部37人中)
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9月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部105人中)
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9月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部136人中)
9月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部148人中)
9月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部149人中)
一番
なっち
「よぉいどん。」
私は、四年生のとき運動会でリレーをした。練習は、みんなで工夫をしながらバトンパスなどをした。
運動会で一番楽しみにしていたのはリレーだった。私達のチームの色は、青だった。今年こそ、一番になりたいと思った。一番になるために私達は、練習にはげんだ。体育の授業のときだけでなく、休み時間はみんなでリレーの練習をした。バトンパスをうまくいくペアはそのままで、うまくいかないペアは、ばらばらにして順番を変えてみたり、走るスピードが人それぞれちがうから、まぜてみたり私達のチームは、工夫した。しんどそうな人には、
「大じょう夫?休けいする?あと少しだよ、がんばろう。」
などと話したりした。私達は、それを毎日のように続けた。十月一日、いよいよ運動会当日。私は、七走者だった。
「よぉいどん。」
と言う声で一走者の人達が走り出した。なんと、青チームが一番だった。このままいけると思ったが、二走者が三走者にわたすときに、バトンパスが上手にいかなくて二番になってしまった。でも、四、五、六走者ががんばって走ってくれたので青チームは、また一番になった。私は、せっかく一番になったのだからがんばらなければと思い、全力で走った。
私は、一番をキープしたままバトンをわたすことができた。そして、八走者がアンカーバトンをわたしたとき、とても大きな声で応えんした。なんと青チームのアンカーがゴールテープを切っていた。私は、まるで口から心ぞうが飛び出そうなぐらいうれしかった。たぶん、がんばって練習したから青チームは一番になれたと私は思う。
姉にも、私と同じように一番になれなかったことがあるそうだ。それは、合唱コンクールだそうだ。中学一年生の時と二年生のとき、
「合唱コンクールで最優秀賞とれたらいいね。」と言う軽い気持ちで合唱コンクールをして最優秀賞をとれなかったそうだ。姉が中学二年生のとき最後だからがんばって最優秀賞を取ると言って、がんばったそうだ。みんなで休み時間や放課後、声がかれるほど歌ったりしたそうだ。最初、男子は、いやがっていたけれどどんどん声を出してきたそうだ。そのとき、とても強力できていて良かったと思うと姉は言っていた。そして、そのときの合唱コンクールは、なんと最優秀賞だった。そのとき姉は、とてもうれしくて、とてもたのしかったと言っていた。そして、団結できていてとても良かったとも言っていた。もし、私が姉だったら、姉と同じようにとてもがんばるだろう。なぜなら、中学最後の合唱コンクールんだからだ。
私は、一番になることは、良いことだかと分かった。なぜなら、一番になるために協力したり、がんばったりできるからだ。これから私は、一番になるためにみんなと協力したり、がんばりたい。
9月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部145人中)
友達カプセル
まろそ
僕は学校でいつも同じ友達と一緒にいる。n君だ。授業でグループを作るときなど、n君がいないとなんとなく違和感がある。休み時間も何か特別な事情がない限り、いつも一緒に遊んでいる。委員会やクラブなども一緒だ。僕はドラえもんのように、『友達カプセル』という秘密道具をいつも持ち歩いているのだ。
それにしても不思議だ。なぜ、人間(日本人)はそのような思いが生じるのだろう。
「〇〇と一緒がいたい」
父はこの疑問に対し、『日本が島国だから』という答えを出した。中国やロシアなどの国々は各国の文化が混ざってできた一つの文化の元で生活している。反対に日本は国が分かれていないから、色々な文化が混ざらない。ロシアや中国の人々ははっきりと自己主張をする。それは、色々な国があり、自己主張をしないとやられてしまうからだ。反対に本はあまり自己主張をしない。それは国が分かれていなくて、皆が仲間だからだ。日本は他国と繋がっていないから(陸が)閉鎖的だ、と言っていた。
多分、父の言うとおりなのだろう。日本は自己主張をしない分、同じ仲間と集まる(固まる)修正があるのだろう。
でも、そのように考えると日本人ならば、誰とでも固まりたいということになる。でも、それは違う。その友情が友達かぷうせるに大きく影響しているのだろう。やはり、仲が良い人と一緒にいたほうが心が和やかになると思う。休み時間に外に行く時だって、登下校する時だって行くまでの間にたくさんおしゃべりがしたい。仲が良くない人や対してかかわりを持っていない人と行動したって対して面白くないじゃないか!このように考えてしまうのが日本人の悪い癖である。仲が良い人と一緒に行動しないと面白くない。自分ひとりだと不安。かかわりが少ない人と一緒にいたって自分ひとりでいることとほとんど変わらない。
「ねぇねえ、あのさ。」
「……」
(何だよ、つまらない。これじゃ自分ひとりでいるのと変わらない!)
それは違う。日本人に今必要なのは、普段からかかわりを持っていない人や、あまり仲の良くない人とも積極的にかかわりを増やすことだ。そうすることで友達カプセルのデメリットを消すことができる。だが、逆にこの行動をやりすぎるとかかわりがないよりかかわりになってしまう。つまり、友達カプセルとは自分を守ってくれ、安心させてくれるたてのような物なのだが、それに隠れていないで出てくることも大事ということである。
人間にとって友達カプセルとは自分を守ったり、安心させたりしてくれるが、外に出る勇気も大切である。だが、出過ぎないように調整しなければならない。
★1位の作品は要約の部分が多かったため、代表作品にはなりませんでした。
9月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部83人中)
言葉にして
たろろ
「人それぞれコミュニケーションの仕方はたくさんある。」
人と人は、コミュニケーションを取って生活する。その取り方は、様々である。僕の知る中では、二つある。一つは、口から言葉にするコミュニケーションだ。言葉にすることで明確に伝わる。二つ目は、「見る」ことで成り立つコミュニケーションだ。日本人は、「見る」ことに対してとても重要なものだと考えていると思う。だから、月見や花見といった文化が生まれるのだ。この二つのコミュニケーション方法は、どちらが良いのだろうか。ぼくは、見ることで成り立つコミュニケーションは大切ではないと思う。
その理由は第一に言葉に出して言い合わないと分かり合えないからだ。人と人が分かり合うことは、難しい。ただつっ立て目を合わせているだけでは何も起こらない。人と人が分かり合うには、目を合わせる以外の方法が必要だ。この前友達と意見が異なり対立したことがあった。そのとき、もしただつっ立て目を合わせているだけだったら何の解決にもならなかっただろう。ぼくは、自分の意見をしっかり述べてから相手の意見もしっかり聞いて言い合いをした。相手の意見を変えたことはなかったが、けんかになることもなくきれいに収まった。相手と意見が対立したときもだが、ただの会話でも目を合わせているだ
けだと意味がない。人と人が分かり合うための方法は、言葉に出して言い合うことである。
その理由は第二に言葉にしても伝わりにくかったり誤解が生じたりすることもあるが言葉にしなければそれ以上に伝わらないからだ。今は、多くの中学生が携帯電話、スマートフォンを持つようになっている。そんななか問題となっているのがアプリの中の「ライン」での問題だ。「ライン」とは、メールや電話ができるアプリだ。多くの人が使っている。中学生は「ライン」を使って会話をする。傍から見れば楽しく会話しているようだが、中では伝わり切らなかったり、違う意味でとってしまい大きな問題につながっている。言葉ににしても伝わらないことがあるのに言葉にしなければもっと伝わらない。もしすべての人が見るコミュニケーションだけするのなら社会は成り立たず崩壊するであろう。だから人には、「声」があるのである。だから言葉にしない見るコミュニケーションは良くないのである。
確かに同じ物を見て同じ気持ちになりコミュニケーションが取りやすいという意見もある。しかし「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである」という名言があるように自分の口から言葉にするコミュニケーションの仕方はお互いにとってわかりやすく良いと思う。だからぼくは、見ることで成り立つコミュニケーションは大切ではないと思う。これから私は、自分の口から言葉にするコミュニケーションを大切にしたい。
9月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部72人中)
希望は無敵
みんみ
勉強は、「個人競技」であり、時には「団体競技」となる。
まず、個人で努力することが大切だ。私は、授業とは自分のためにあるものだと思う。授業が嫌いな人のほとんどが、「授業を受けさせられている」という受け身で強制的な感覚を抱く。しかし本当は、「授業を受けさせていただく」という気持ちの方が正しいような気がする。授業を受けることで、知識が増え、だんだんと自分は成長していく。だから、何も聞かず、また何も書かずに他人のノートを写すようなことはもってもほかである。それに、「聞く」ということも、ただ受け身で聞いているだけでは意味がない。先生の話の要点をまとめたら、自分なりの意見を考えたり、自分の弱点を見つけたり、他分野との結びつきをとらえてみたりすると有効だろう。例えば私は、社会の授業で先生が話している豆知識や語句の意味などは、自分なりの言葉にしながら、全てメモするようにしている。その甲斐あって、社会科に興味がわき、もともと得意だが、より好きになっている。また、授業が嫌いな人は、こんな言い訳をよく口にする。
「先生が面白くないし、説明が下手だから、何もしない。」
確かに、楽しさが見いだせないかもしれないが、こんな時こそ腕の見せどころなのではないだろうか。悪い環境の中で、いかに集中し、大切なことを吸収していくかが、個人の差として浮き彫りになっている。そこで自分を成長させるためには、自分をしっかりと認識できる個人の力が必要だ。また、テストは自力で解決しなければならないものの代表例だ。一人で立ち向かって、問題にも自分にも勝てる強い心を持つことができれば、怖いものなしだ。やはり勉強は、「ひたむきに積み重ねた努力」が不可欠なのだ。
一方で、集団で高め合うことも大切だ。よく、「受験は団体競技」と言われる。まず、合格のためには、「良い環境」が必要だ。適度な緊張感を保ち、落ち着いて生活し、かつ各自がストレスを発散できる場を見つけるのだ。そして、「助け合い」も大事だ。能力面やメンタル面で、お互いが補い助け合い、支え合いながら、みんなで受験という山を乗り越えていく。もちろん個人の努力が基本となるが、一人で抱え込んでは乗り越えられない。誰でも、時には頼ることが必要だ。受験とは、最も集団の力が試される試練だと思う。
確かに、個人の力も集団の力も大切だ。しかし最も重要なのは、どんな力を使っていても、ベストを尽くし、自分や仲間を信じることだと思う。「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就するものではない」のだ。どれだけ力があっても、消極的であれば全力は出し切れない。闘志にあふれる活き活きとした輝く瞳があれば、何にだって立ち向かっていける。そして、仲間を信じれば、次第に勇気がわいている。個人も集団も尊重することで、良い結果がついてくるのだ。
9月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部67人中)
西洋文化から気が付いた日本文化
しろめウサギ
日本人は、西洋文化を積極的に取り入れてきた。そのことが一番わかりやすいのが、家・家の中だと思う。かつての日本人の家は、木材の色や形を残すため、黒、茶、白の家が多かった。大正時代までは、家が横に広い一階建ての家が多かったのに対し、今では二階建ての家が多くみられる。家の中でも同様だ。ここ最近の家を見ると、日本文化に欠かせない、「たたみ」の部屋がほとんどない。洋風のカーテンを使いこなし、家をオシャレにきれいに保っている。だから、和紙を使った一つのしきりとしての障子は各家庭から姿を消しているように思える。私たちは、日本人であるのに、西洋の文化ばかり考えてしまっては、本当の日本文化に気付かなくなってしまう。私は、日本的な良いものを見つめなおす生き方をしたいと思う。
そのための方法として第一に、身近な自然を楽しむ気持ちを持つことだ。日本には四季がある。季節があることで、私たちは、一年というサイクルの中で様々な景色を楽しむことが出来る。季節によって異なる空の濃さ、雲の色、星の輝き一つ一つによって、感性や文化が作られてきた。日本の文化は、自然との関連性が強い。お花見、お月見、冬見、自然にあった「きれいなもの」をみようとしている、日本人の心の温かさが良く感じ取れる。月のことにしぼっていえば、日本では、月の黒い部分をウサギがお餅をついているという。他の国では、黒い部分を男の人や鳥などというそうだ。日本人は、模様の見方に対しても自国の文化とつなげている。そこから、昔からずっと日本人は日本を愛していたのだということが、ひしひしと伝わってきた。身近に自然があったからこそ日本文化は深いものになったのだと思った。
また、第二の理由としては、日本の文化を理解することを教育の基本に置くことだ。美術や音楽・家庭科では、日本文化と触れ合う機会が多い。美術や音楽は、西洋の色彩、音を学ぶこともある。しかし、まずは、日本の音が聞いてからという教育の仕方なため、日本の文化や感性、リズムが基礎となって、物事をとらえることが出来ている。時々、日本の音楽や絵よりも西洋の作品の方が華やかだと思うことがある。それは、日本の作品があったからこそ思うことであり、西洋の作品と日本の作品を対比させて、気づかされたことでもあった。だから、私たちの心の中には日本文化・日本の作品が基礎となって、他のものを評価できるようになっているのだ。小学一年生からの記憶をたどってみると、国語の授業では、日本人作家の小説や話をたくさん読んできた。外国人作家との比でいうと、七対三くらいで日本人作家の方が多い。小さいころから、日本人の考え方を身につけるために、自国の作家の作品を読んでいたのだろうと思う。
確かに、日本は西洋の文化に追いつくことで自国を発展させてきた。しかし、最も大切なことは、発展しつづけ、日本的良さを失うことではなく、新しいものを取り入れるときに日本文化とのつながり、関連性を見つけていくことだ。「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言があるように、ただ、西洋文化にあこがれてそのまま、日本にとれ入れても、日本文化に良い影響は与えられない。少しでも日本らしく変えて取り入れることで、日本が良い方向に発展できると思う。日本らしさを知るために私は、日本的な良いものを見つめなおす生き方をしたいと思う。
★1位の作品は要約の部分が多かったため、代表作品にはなりませんでした。
9月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部127人中)
くたびれた思い出
ああまむ
迷いが転じて悟りを開くか・・・。ふう~~とため息が漏れる。本当にくたびれた。そしてうんざりさせられる。これではまるでパブロフの犬状態ではないか。特定のシーンになると何かが刺激されて、後は自動反応メカニズムと化し、次々と生じる思考や感情の連鎖反応によって増大してゆく苦悩の負のスパイラルへとはまりこんでしまうこの苦しみ・・・。この様なある種のトリガーによって条件反射的に生じる苦しみに悩まされている人は案外多いのではないだろうか。
例えば2年前に参加したカウンセリングとセラピー、そして非二元と心の仕組みを融合させたHHCのIntegrated Counseling Diploma Courseに参加した時の出来事。約2週間の学びが終了し、さあこれから楽しい打ち上げだということで、皆が集合写真などを撮るシーンだった。皆は楽しそうに盛り上がってゆくのに対して、僕はドンドン強い不安と焦燥感に駆られ始める。胸が締め付けられ、まるでそこに存在することが場違いの様に思われた。
今ならこの時に何が自分の中で起こっていたのかがわかる。自分が抑圧している何らかのセルフイメージや思考、感情が刺激されて、トラウマ記憶やトラウマ的なエネルギーの活性化が起こっていたのだ。そしてこの時、全員が同じ場所に存在しても、誰一人として同じ経験をしていなかったであろうと思われる。皆それぞれが何らかの世界観、ビリーフをもとにして状況を解釈し、異なった経験をしていたのであろう。それは言葉をかえると、誰もありのままの現実ではなく、各々の解釈を経験していたということである。
聞くところによると、あの場にいたメンバーたちは皆楽しかったと話していたそうな。僕の様に強く不快感に飲まれることなく、コース最後の時を楽しんでいたということだそうな。そして、その「楽しさ」もまたそれぞれ微妙に異なっていたであろう。各々の世界観やビリーフによる状況の解釈の違いによって。
この様に、人間にとってその状況が快となるか不快となるかの違いは、状況そのものではなく、各々のもつ世界観やビリーフによるところが大きいと言えよう。それは言葉をかえると、苦しむか否かということの真の要因が外側ではなく内側にあるということである。ということは、ここに実は大きな救いの可能性が出現し始める。つまり人間は外側の状況によって永遠に翻弄され続ける犠牲者ではなく、内なる世界観を変化させることにより、各々の抱える「不必要な苦しみ」に終止符を打つことが出来る存在であるということである。
苦しみの終焉というのは、実はこの様な根本的な認識の転換により始まるのであろう。そういう意味においては、段落冒頭にある「転迷開悟」という言葉が示す様に、苦しみというものが、個人の目線を外側から内側へとそのベクトルを逆転させ、根源的な認識のシフトを促し続けてくれるものとして、有り難く感じられるかもしれない。興味深いことに、難が有って「有難う」と書くそうな。
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