毎月の森リン大賞
森リンの丘
2月の森リン大賞と上位入賞者(小1の部83人中)
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2月の森リン大賞と上位入賞者(小2の部140人中)
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2月の森リン大賞と上位入賞者(小3の部128人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 手作りチョコ
エルサ
70
527 42 64 68 83
2 位
● おには外、福は内
まめまめちゃん
70
699 44 51 66 89
3 位
● ぜったいにうん
リーリー
70
680 44 55 62 83
4 位
● いただきます
なゆら
69
586 41 50 66 84
5 位
● せいこうしたパストゥール
らゆみ
69
570 42 51 63 86
6 位
● せきにんのあるホウセンカ
マーガレット
69
812 43 45 62 84
7 位
● いろんな形の雪みっけ
らゆに
69
595 39 53 60 87
8 位
● せつぶんふくわらい
さとタン
65
428 42 44 62 76
2月の森リン大賞と上位入賞者(小4の部135人中)
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 夕食
わあま
79
804 48 70 95 86
2 位
● 見直すべき蚊
らあき
76
946 57 55 68 95
3 位
● 朝のランニング
ころ
75
710 39 78 75 83
4 位
● なみだも友達
夢見るおたまじゃくし
75
1323 41 54 73 92
5 位
● 我が家の熱帯魚
くるみ
75
833 44 59 72 90
6 位
● 有名な害虫・・・蚊!
わさび
75
923 57 55 64 80
7 位
● あったまる朝
ああとあ
74
1020 43 60 79 81
8 位
● がんばれ!!走りなわ飛び
わこあ
73
762 42 52 63 83
9 位
● 「最後のばんさん」ではなくて「家族のばんさん」
おむれ
69
517 37 61 71 81
10 位
● 血を吸うカ メスについて
ああよこ
69
587 43 50 60 84
★1位の作品は、要約の部分が多かったので代表作になりませんでした。
2月の森リン大賞と上位入賞者(小5の部133人中)
豆まきだ~。
りゅうの玉
「おにいさーん。こっちにください」
ぼくは、家の近くの氷川神社で行われている豆まきに参加している。その神社での豆まきには、一年生のころから参加している。節分のその日、神社では神殿の前に台を作り、その上から年男、年女の人が豆や、お菓子、お金を投げてくれる。上から投げるため、背の高い方が有利で、背の低い小学校低学年の子は周りの大人に豆やお菓子を取られてしまう。ぼくは、去年やっと二十個以上取ることができた。ぼくは、身長は大人ほど高くはないが、バスケットを習っていたおかげでジャンプ力があり、二十個も取ることができたのだ。
二月三日節分、ぼくは今年も氷川神社に向かった。開始時刻の三十分前だというのに、まるでひとつのお菓子に群がるアリのように人がいっぱいいた。
ぼくは隣にいた友達に、
「豆まきは、人が鬼に向かって豆を投げるよね。ぼくたちは上にいる人たちから豆を投げられているから鬼だということかな 」
と聞くと
「そうかもしれないね」
と答えてくれた。
ぼくは家に帰ってから節分の由来を調べてみた。節分とは季節の変わり目のことだ。昔は、立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分と呼んでいた。今では立春の前日の二月三日だけが節分として残ったというわけだ。なぜ豆をまくのか というと、季節の変わり目には鬼が出るとの言い伝えがあり、豆をまいて鬼を追い払うこの風習は室町時代から続いているそうだ。
ぼくが、母に、
「お母さんが子供の頃、節分では何をしていた」
と聞くと、
「家で豆まきをしたよ」
「鬼はどうしたの?」
「鬼は特にいなかった。豆まきのあとの掃除が嫌だから、二月で寒いのに窓を開けて、庭に向かって豆を投げていたよ」
と、質問に答えてくれた。ぼくは質問を変えて、
「何で節分に豆をまくんだと思う」
と聞いてみた。すると、
「鬼に、豆を当てて遊ぶためじゃない」
とふざけたように言った。
ぼくは心の中で笑い、ドヤ顔で母に正しい意味を教えた。母は、とてもびっくりした様子だった。
温故知新ということわざがあるように昔の事をよく学び、昔からの伝統を大切にしたい。昔のことをよく勉強して新しい知識を得ることが大切だとわかった。
「お兄さーん。もう一個下さい」
ぼくは大きな声で叫んだ 。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 未知なる生物の住む海
らよろ
80
933 41 76 93 83
2 位
● 豆まきだ~。
りゅうの玉
80
944 41 75 82 90
3 位
● 島の法則にもとづいて
かなん
80
1260 49 66 66 89
4 位
● 島の法則(清書)
らりこ
80
1046 46 74 66 93
5 位
● 悔しさと安心感
NAO
79
989 42 96 106 87
6 位
● 節分のだいご味
ゆり
79
995 46 73 87 93
7 位
● 島の動物と大陸の動物
こたこ
79
982 42 67 74 92
8 位
● ランニングは大変
もあ
78
983 39 68 109 77
9 位
● 持久走は少し・・・
白うさぎ
78
950 43 69 88 89
10 位
● 恵方巻き
なっち
78
1008 41 59 84 83
★1位の作品は、要約の部分が多かったので代表作になりませんでした。
2月の森リン大賞と上位入賞者(小6の部114人中)
私の将来の夢
イクラ
「今度の参観で将来の夢か六年間の楽しかった思い出について発表します。」
まだまだ寒い北風が吹く一月下旬、国語の授業の冒頭で担任の先生がそう口走った。それを聞いた私達の反応は、もちろん
「えぇぇ。」
である。そんな私達に構うことなく、先生は、更に、
「これは、スピーチです。だから、何も見てはいけません。また、そのスピーチの下書きは、先生は、一切見ないので自分の力だけで頑張って下さい。ちなみに、発表は、出席番号順です。」
と続けた。みんなは、またしても
「えぇぇぇぇ。」
の大合唱。その後は、ブーイング近い言葉が教室を飛び交った。
「覚えられないっ。」
だの、
「何を書けばいいのか分からない。」
「期間が短すぎる。」
と言った具合である。そんな中、私は、先生が最後に一言付け足した言葉について青ざめていた。
私の出席番号は、一番である。私が通っている学校はカトリック系のせいか、出席番号が50音順ではなく、アルファベット順なのだ。しかも名字が「A」から「E」で始まる生徒がいなく、私の名字の頭文字の「F」が一番になっているのだ。
私は、スピーチで将来の夢を発表することにした。なぜらなら、私は、将来の夢を明白にしたことが友達にも、そして自分にもなかったからだ。スピーチの文を書く二時間の授業は、私にとって考えさせられるときでもあった。自分は、将来、どんな人物になりたいのか、自分の将来像がなかなか見えてこなかった、それは、私には、まるで、四つ葉のクローバーを捜すような難問に感じられた。でも、人生とは、そういう難しいものなのかもしれない。生まれて死ぬと言うことは、その時の意識の中で頑張らなくても、それらは、訪れてくるものだ。しかし、その間は、非常に複雑でややこしい。その中で、自分がどのように生き、人生の泉を見つけられるかが大切なのだと私は、考えた。私は、考えた末に、このことを四百字詰めの原稿用紙二枚にまとめた。要約すると次のような感じである。
「私の将来の夢は、社会から必要とされる人間になることだ。そして今、私がすべきことは、青春のうちに、多くの様々な経験と出会いをし、そこで見つけた自分の可能性を使い、社会に役立ち必要とされる大人になる。」
と言った内容である。発表の四時間目、教室の後方には、多くのお母様方の姿があった。その中には、私の母の姿もあった。先生に名前を呼ばれ、私は、前に出た。発表時にこんなにも鼓動が速くなったのは、多分クラスで、唯一私だけだろう。スピーチが始まった。私は、一昨日から頭と心にたたき込んだスピーチの文章を、聞いてくれているみんなの耳に語った。そうは言ったものの、緊張しすぎていて足の震えを止め方も知らないのに、止めようと必死だった。私は、心の中で
「大丈夫。詰まっていない。」
「笑って、みんなが聞いてくれていることは嬉しいことだ。」
とポジティブに考えた。スピーチをしている間、私が、何をしゃっべたのかは、覚えていない。ただ、最後に
「・・・立派な成人になりたいです。」
と締めた後に、太平洋より広くエベレスト山より高い安堵感を感じたことは、はっきり覚えている。ほっとしていると、拍手が聞こえてきて、
「イク、すごいっ。」
「さすがっ。」
「イクラの将来の夢、初めて聞いた。」
「なんか、私、緊張してきた。」
と私のスピーチの評価を表してくれた。わたしは、再度頭を下げて、席に着いた。私がやっと緊張から解放された瞬間であった。
母が今までの人生を通して一番緊張した経験は、友人の結婚式のスピーチを担当したときだそうだ。どうやら、母子共にスピーチは、緊張するらしい。昔からの友人の一生に一度の晴れの舞台。失敗をすることは、出来ないという重荷を抱え、スピーチの内容を考えていく事から大変だったという。もちろん、式当日は、直前まで、詰まったりかんだり内容何度も何度も練習したという。結果は、練習の成果が実ったのか詰まることもかむこともなく、友人代表として、二人に祝辞をしっかりと述べられたそうだ。それを聞き、私は、もし、私が母だったら、顔の似ている姉にこっそり、役を任せるかもしれない(笑)と心の中で舌を出した。
緊張は、人間にとって、幸せなことである。緊張出来るような経験に巡り会えたたことは、すばらしいことである。でも、私達は、失敗や恐怖を恐れて緊張を嫌う。もちろん、私だってそうである。そんな時どうすればよいのか。それは、「案ずるよりも産むが易し」である。何でもマイナスに重く考えず楽しく取り組めばよい。そして、私もそうしていくことを決意する。
「今度の参観で将来の夢について発表します。」
次回、そう言われたときは、私は、自分の可能性を見つけた上でのスピーチをしたい。暖かい春の風が私の可能性を運んでくることを望む。私は、スピーチの原稿用紙をファイルと自分の心の中にそっとしまい込んだ。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 植物内での差別
なゆの
82
1278 49 71 82 86
2 位
● 私の将来の夢
イクラ
81
2021 48 81 89 89
3 位
● 外見よりも中身
なほら
80
1053 46 61 73 90
4 位
● 雑草は抜くのに…
ゆとえ
79
1341 48 90 100 84
5 位
● 中身よければ全てよし
四つ葉
79
996 49 88 89 92
6 位
● 自然を守るために
なゆは
79
1741 46 90 88 89
7 位
● 変な魔法
ゆえめ
77
828 59 71 63 87
8 位
● きれいなプレゼント
らろこ
76
813 47 63 63 89
9 位
● 日本人の美意識
ゆやわ
75
779 39 76 71 87
10 位
● 節分【清書】
ああそか
71
632 41 59 74 86
2月の森リン大賞と上位入賞者(中1の部83人中)
行間や余白に注目
工藤コナン
最近、新聞を見ると、よくアメリカ政権の記事が大胆に表紙に書かれている。新聞社はそれに注目してほしいと考えているにちがいない。確かに、そういう注目されている記事などは自分にえいきょうがあったり、とても大事なものが多い。それでも、私は新聞にのっているその他のもの、行間や余白にも目を向けるべきだと考える。
第一に、行間や余白というものがなかったら、つかれてしまうからだ。私は現在、学校で地理のクラスを取っている。一時間が八十分間の長いクラスであり、それに加え、たくさんのことを覚えないといけないため、ずっと集中して先生の言っていることを聞けるはずがない。そのため、私の先生は毎回二十分ごとに三分ぐらいの休みをくれる。確かに三分はとても短い時間であり、何も変わらないと思うだろう。しかし、実際はみんなその三分間で頭をリフレッシュすることができ、授業に戻る時にはまた先生の話に集中することができる。このように、二、三分間の休みというものがなかったら、人々はつかれてしまう。だからこそ、私は行間や余白などはとても大切だと思う。
二つ目は、行間や余白のように一見役に立たないものが重要な役割を果たしていることがあるからだ。ついこの間、私たちは新しい家族をむかえた。それは、ずっとほしかった子犬だ。The Human Society of The United Statesのデータによると、2015年度の調査でアメリカの家族の六割以上がペットを飼っているという。しかし、なぜこんなに多くの人々がペットをほしがるのだろう。ペットは家事や宿題を助けてくれる訳ではなく、お金もかかる。しかし、US Money Newsによると、ペットを飼うことにより、ストレスがあまりたまらない、運動することができるなどのメリットがあるため、私をふくめ、多くの人がペットを飼う決断をする。私の家でも、子犬がいることで世話は大変だが、家族みんながいやされている。このように、一見使いようがなさそうに見えるものも、大切な役割を果たすことがあるため、私は行間や余白などに関心をもっと寄せた方がいいと考える。
確かに、中身が充実していることは大切だ。新聞が全て余白や広告でできていたら、大事な情報を知らせるという、メインの役割ができなくなってしまう。しかし「雑草とは、まだその美点が発見されていない植物のことである」という名言もあるように、一見役に立たなそうな行間や余白にも意味がある。それに加え、こういう余分なものがないとため息をつくことができずつかれてしまう。そのためにも、私は行間や余白といったものにもっと目を向けるべきだと考える。これからは、新聞の行間にもっと注目して読んでみたい。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 行間や余白に注目
工藤コナン
86
1128 67 66 76 84
2 位
● 愛情ある躾
らうみ
85
1129 57 76 89 95
3 位
● 補う
にえけ
84
1229 51 63 79 87
4 位
● 行間と余白を読み取る
赤髪のとも
84
1060 62 69 77 77
5 位
● 躾と愛情
白いごはん
84
1026 64 58 73 99
6 位
● コトバはきちんと。
みいた
83
1142 72 64 71 84
7 位
● 余白、行間を読む
わよむ
82
1060 56 86 96 89
8 位
● 気楽に読む
たろろ
82
1174 58 56 64 84
9 位
● 清書
のび太
80
979 51 61 73 80
10 位
● 子供の成長で大切なことは、愛情のある躾か?
られし
79
1202 53 87 105 89
2月の森リン大賞と上位入賞者(中2の部67人中)
物事の決め方
はや
「では、今から多数決を行うので自分の考えに近い意見に手を挙げてください。」
今は学級活動の時間。クラスの代表委員が司会となって、体育祭が近づく今、それを見据えたスローガンを決めている。多数決を行い、結果一つだけに絞られた。これにより、意見が固まり、活動も終わりそうになっている。しかし、よく考えてみると、多数決には当然違うものに手を挙げたものもいる。多数決は必ずしも全員の合意があるとは限らないのではないのだろうか。
確かに、多数決で物事を決めることが大切だという意見もある。例えば、それにより反対意見も見えてくる。反対意見を述べる側としても多数決のような環境があれば、もし言い出しにくくても発言がしやすくありがたい。反対意見がクラス全員に理解してもらえないことは少ないだろう。もしかしたら、その意見が場を沸かせて形勢逆転が起こるかもしれない。また、賛成側も反対側の人間に分かってもらえるように説明することで相手も納得し、強制的な採決を防げるかもしれない。例えば僕も、よく学校で行事が近くなると、その行事のスローガン決めることがある。まずいくつかの意見が挙がり、それをいつも多数決で決めている。決まった後、それについての反論が色々と出るのだが、なぜこの意見を考えたのかを述べることによって、みんなも意見を共有し合うことで円滑に採決が成立する。行事と言うタイムリミットが迫る中長々と決議をしている場合ではないのだ。だとするならば、多数決の即決性とみんなが納得できる内容はそのような場にぴったりだ。まるでいいことだらけのようなこの決め方は、確実な即決性のある素晴らしいものであると僕は思った。
しかし、全員一致になるまで話し合うことも大切だと言う意見もある。例えば、話し合いの内容について必ず全員の了解が採決に要るならば、話し合いをする他、あまり手段は思い付かない。また、反対側が存在するのにもかかわらず強制的な採決をしてしまうと不満も溜まってしまう。大事なことはじっくりと話し合うことで、それが全員一致には必要不可欠なのだ。例えば僕は、そうした大事なことを決めるような重い役は担ったことがないのだが、最近友達がペットを飼うかどうかを家族と話し合っているらしい。その友達は犬を飼うことを希望しているが、世話は誰がするのか、費用の負担のことについて考えてあるのかなど、色々な問題点がある。それらについて話し合うだけでもかなり時間がかかる。生き物が対象と言うこともあり、単に多数決で善し悪しを決められる問題ではなく、家族全員の了解が必要なのだ。また、「桃太郎」という昔話があるように、桃太郎とその家来全員の率で鬼退治を子に向かったからこそ、力を合わせて鬼退治を成功させられたのだ。全員一致の採決は、鬼にも勝てるような絶対的な一体感を生むのだ。それも現代人には必要なことだと僕は思った。
多数決で決めるのも良い、全員一致になるまで話し合って決めるのも良い。しかし、「議会の目的は、議論を殴り合いの代用品にすることである。」と言う名言もあるように、1番大切なのは、話す内容や採決の過程である。決め方よりも、どんな意見が交わされ、皆が納得するものかどうかを考えることで、自ずと良い方向へ議論は進むはずである。これから僕は、何か議論をする時、みんなが納得できるような意見を、みんなの納得がいく方法で決めていきたい。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 物事の決め方
はや
89
1403 67 79 77 93
2 位
● 新聞というものをまるで読まない(意見文)
はれそ
87
1013 61 84 84 87
3 位
● 話し合いの仕方
マーフィー
86
1223 54 81 87 86
4 位
● イスラエルを旅していた時(清書)
ああかち
85
1193 56 68 66 92
5 位
● 価値観
あしゅらまる
84
951 63 71 82 81
6 位
● 取り入れるべきか、周りの意見
くあゆ
84
1150 57 73 74 83
7 位
● 生き方
わせえ
83
1206 58 54 81 93
8 位
● 価値観
シナモン
83
1044 63 70 69 90
9 位
● 話し合いの過程
ようこ
81
1006 48 67 70 89
10 位
● 未来
ひなえ
80
1019 58 61 69 86
★1位と2位の作品は、要約の部分が多かったので代表作になりませんでした。
2月の森リン大賞と上位入賞者(中3の部44人中)
大人のなりかた
りすっぴ
現代の成人は、子どもっぽいと言われている。確かに成人式で散々騒いだり、スマホをいじったりしている新成人は、子どもっぽいと言えるだろう。しかし、私が思うに子供っぽさが抜け切らなくなっているのは、何も新成人に限った事ではない。現代の子供達も、年齢の割に精神的に幼い子どもが増えていると思う。例えば私の通っている合唱団では、小学生から中学生までが在籍している。そのような環境の中で最近思うのは、小学生がひどく幼く見えるということだ。もう小学生だというのに、歌っている間に勝手に練習を抜け出したり、勝手に座ったり、歌詞やセリフを覚えるのにとても時間がかかったりする。私たちが小学生の時はここまでひどくなかった。最近は社会全体の傾向として、年齢に見合った精神の成長ができない人が多い。私は、いつまでも子どもでいるのではなく、アイデンティティを持った大人になりたい。
そのための方法としては第一に、実際の社会を体験することだ。公立の中学校では職業体験が行われるが、これは、社会の実態を知るための体験である。是非私も体験してみたいのだが、残念ながら私の学校にはそのカリキュラムは存在しない。職業体験が実際の社会を体感できる良い機会であることは確かだが、私生活の中でも社会の空気を感じることができる。例えば、私は習い事で最年長だ。最年長ということは、年下の面倒も見なければならないし、クリスマス会などの行事の企画運営もする。この年になってようやく、準備や円滑に進行することの大変さを知った。責任も重くなっていくが、責任感のある大人になるためには必要な馴らしなのかもしれない。
また、第二の方法としては、社会も若者を子ども扱いせず、役割をどんどん割り振っていくことだ。最近の子どものアイデンティティが不足している理由の一つは、大人が子どもではなくなった若者を未だに子ども扱いしていることにあると思う。昔の日本では、十五歳になったら大人の仲間入りであった。中学生、高校生は充分大人になれるということだ。現代社会では、まだ親のすねをかじっていても、能力的には大人とほぼ互角である。それを子ども扱いされると、がっかりするし、まだ子どものままで良いのかとも思ってしまう。つまり、一人前としての意識が芽生えにくいのだ。周りの大人の言葉の重みは違う。子どもの頃から自立していたといえば、かの発明王エジソンである。彼は、子どもの頃、列車の中で自分の作った新聞を売ってお金を稼いでいた。ここまでするのはなかなか難しいが、エジソンの自立心には見習うべきものがある。
確かに、世の中の仕組みが複雑だと、子どもとして扱われる期間が長くなる。中卒で就職しようとしても、社会はそこまで甘くはない。しかし、『トランプが生きているのは、それが実際のゲームに使われている時である。』という名言もある。どんなに頭の中で考えていても、実際の社会で役に立たなければ仕方がないのだ。私は、実際の社会で役に立つ大人になれるよう、今から努力していきたい。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 「マイペース」に生きる
彌織
93
1396 67 90 89 92
2 位
● コミュニケーション
きろせ
88
1255 59 79 79 96
3 位
● 大人のなりかた
りすっぴ
88
1250 54 80 78 84
4 位
● 笑顔が人を変える
しろめウサギ
88
1447 71 73 76 87
5 位
● 自分らしく
おしゃべり君
83
1085 56 64 72 89
6 位
● 笑顔
パルキア
81
1206 47 84 83 80
7 位
● 笑いながら生きる(清書)
ジャスミン
79
863 54 66 66 95
2月の森リン大賞と上位入賞者(高1高2高3社の部105人中)
生きた学問
四葉のクローバー
日本の法律、政治、経済の学者たちはあまりに専門的に分化し、他方あまりに理論の整合性を喜びすぎて、人間をトータルに把握するという、いちばん平凡な、しかもいちばん肝心のことを忘れていたのではないだろうか。日常生活の中でたえず自分の学問をためしてゆくことによって学問がそれだけ豊かに立体的になり、逆にまた自分の生活と行動とが原理的な一貫性を持ってくるだろう。しかし、今日の学問はテストのため入試のために必死で頭に詰め込むだけのものになりがちだ。私は、社会の問題に取り組むよりも、学問自体が目的となっているところに問題があると思う。
その原因として第一に、学問の内容自体が膨大になり、全体像がつかみにくくなったからである。日本の学生は毎日様々な授業を受けなければならない。チャイムの合図で授業を終え、すぐに次の準備をする。授業もせわしなく進んでいく。一年間のノルマをきっちり終わらせるため、とにかくこなすだけの授業になりがちである。高校一年生の数学は特にそのように感じた。私は得心クラスに在籍していたため、標準クラスよりも早く進めていくためにスピード重視で勉強していた。ところが授業中に納得いくまで理解できたことはほとんどなく、山のように課される宿題プリントを必死で解き、小テストの結果はいまいちなのだ。しっかり理解できていないことは分かっていても、授業は先々進んでいくためゆっくり立ち止まってなどいられない。本来数学は日常生活に大きく影響する大切な教科であるはずだが、日常生活に結び付けて考える間もなく、テストで点数を取るためだけに必死になっている。大切なのは、表面的な教科書の勉強だけでなく、実生活に結び付けた生きた学習を深めていくことだと思う。
また第二の原因としては、これまでの社会が、経済成長に役立つ分野以外に、学問の役割をあまり期待していなかったからだ。会社は新入社員に対して、大学で学んだことを生かしきらずにまた一から学ばせる。学生時代に学んだことは、生きていくうえで基礎となり社会人になってからも大切であるはずだ。しかし難しいことばかり押し付けると、基本となる足場が崩れてしまい、ますます難しくなってしまうだろう。海に戻ったイルカは、陸上生活のころに使っていたはずの足の痕跡がほとんどない。役割を期待されていないものは消滅するのである。このように無駄だと思われるものを切り離そうとするとどんどん難しいものばかりが残ってしまうのだ。
確かに、学問には、その時代の社会に求められたものは独立した意義もある。しかし、「雨だれ岩をもうがつ」と言うが、大事なことは、どういう岩をうがつべきなのかということである。つまり、「受験のための学問」という岩ではなく「人間の幸福のため社会に生かせる学問」という岩をうがっていくべきであろう。だからこそ、学問自体が目的となっている現代の社会は問題である。実生活につながるような生きた学習をするべきである。
順位 題名 ペンネーム 得点 字数 思考 知識 表現 文体
1 位
● 生きた学問
四葉のクローバー
94
1224 79 85 92 93
2 位
● 自分から見た自分、他人の目に映る自分
きろる
90
1666 78 72 81 89
3 位
● 言葉と気持ち
ききも
89
1275 62 88 91 90
4 位
● 学問は基礎以上
トレジャーハンター
87
1383 57 74 76 96
5 位
● 人と物との関り方
音花 寧々
85
1114 57 79 90 96
6 位
● 私が本当に「日本」を身をもって(感)清書
ああまむ
83
1786 58 81 95 84
7 位
● 余白を楽しむ
らわん
81
895 57 67 76 89
8 位
● 「大人」は一人前の社会人として(清書)
わよつ
80
1401 59 112 124 95
9 位
● 私が本当に日本(清書)
ああしめ
74
1280 61 123 140 90
10 位
● 厳密的の話
わえふ
71
668 49 50 57 87
2024年07月の森リン大賞 |
2024年06月の森リン大賞 |
2024年05月の森リン大賞 |
2024年04月の森リン大賞 |
2024年03月の森リン大賞 |
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