4月4日(火)のディスカッションのテーマ (3795字)
森川林(nane)
2023/04/03 14:05:35 14645
■孤独について
【1】君は孤独を感じたことがあるか。
もし、それを感じたことがあったら、それは君が成長したしるしだ。悲しむことはない。
【2】いつも、まわりのおおぜいの友人といっしょになって、先生の失敗をはやしたてたり、流行歌を合唱したりして、それで毎日がたのしいというのは、自分の個性を自分でみつけていないのだ。
【3】あるいは、個性をそだてることがおっくうなので、おおぜいのなかにとけこんでごまかしているのだ。渡り鳥が群れをつくってとんでいるようなものだ。おおぜいのいくところについていけばいいという気持ちだ。
【4】ところが、自分はおおぜいにはついていけないという気持ちがおこってくる時がある。
自分にだけ能力があるという、えらそうな気持ちからでなく、そうなる時がある。
そして、おおぜいからすこしはずれたところにでていって、はじめて救われたようになる。
【5】これを、孤独病という病気のように思うことはない。みんなにとけこめない自分を悲しく思うことはない。
人間はめいめい個性をもっている。それが中学生のころになると、急に成長するので、ほかの人とあわないところがでてくる。
【6】それぞれちがった個性が一度に開花してくるのだから、ほんとうは中学の時代は、まとまりのわるいものだ。ところが、いまは受験勉強というもので、みんなに同じような生活が強いられている。
【7】みんながおなじ模擬テストをうけ、おなじ宿題をやらされ、おなじように時間がたりないところにおいこまれている。みんながおなじようなことをかんがえ、おなじようにさわぐのは、受験勉強にたいする共通した反応だとかんがえていい。【8】受験勉強のために、個性の開花はおさえられている。
そのなかで、自分の個性の成長を感じ、自分はすこしちがうと思いはじめるのが、孤独なのだ。
自分のような孤独な人間が生きていけるだろうかなどと思うのは、まちがっている。【9】個性的であるという点で、人間はみんな孤独なのだ。∵
人間は渡り鳥のような個性のないものでない。めいめい孤独なのだと自覚し、孤独だからこそ連帯が大事だということになって、はじめてほんとうの連帯が生まれるのだと思う。【0】
『人生ってなんだろ』(松田道雄)より
■お正月
【1】元日はおかしな日だ。きのうまでいそがしく動きまわっていたおとなたちが、映写機の故障でフィルムがとまったように、おちついて笑顔をみせている。
【2】お正月なんか、ちっともおめでたくないや、おとなが勝手にきめて、酒をのむ口実をつくってるだけじゃないか、と思っている人もあると思う。
お正月に、そういう感じをもつ人は、昔からいた。一休和尚という坊さんがそうだった。【3】室町時代のおわりちかく、京都の大徳寺の住職をしていた。この人は正月に、
正月は冥途の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし
という歌をつくって、おめでたい、おめでたいといっている人をからかった。
【4】人間は年をとって死ぬのが当然だから、正月は死に一歩ちかづく里程標だというわけだ。
人間の世界は何ごとにも、喜ぶべきことと、悲しむべきことが、両方ふくまれている。
【5】どうせ死ねばだれでも無になってしまうのだ。それだからこそ、めでたいほうに賭けるべきではないか。正月は、そういう賭けの季節だ。
自分は才能があるのかも知れぬ、ないのかも知れぬ。それだったら正月は、才能のあるほうに賭けるときだ。
【6】去年、仲たがいした友人があるとしよう。人間は一〇〇パーセント意地悪ということはない。意地悪をしたとしても、その人間のなかにある善良なものが、ゼロになったということではなかろう。そうなら、仲たがいした相手のなかの善良なものに賭けるべきだ。
【7】去年は、何かで親と争って、親をばかにしている人があるとしよう。いちど、ぐあいがわるくなると、親子のあいだは、非常にばつのわるいものだ。わるうございましたなどとあやまるのは、最高にてれくさい。【8】だが、正月は、親も子も、去年のことを忘れるほうに賭けていいときなのだ。
正月は人間のつくりあげたフィクションであることは、まちがいない。∵
【9】だが、そのフィクションによって、いいこともするが、わるいこともする人間、つよいときもあるが、よわくもなる人間が、世界中一ぺんに軌道修正をするというのだったら、正月というフィクションも、人間の知恵といっていいではないか。【0】
『人生ってなんだろ』(松田道雄)より
■ 【1】言葉というものは、具体から抽象へと発達するものだと私はいったが、それはそのまま思考の成長の過程でもある。その成長過程は言葉や思考の「乳離れ」といってもいい。
そもそも言葉とは命名から出発した。【2】子供が生まれると名前をつけるように、人間は自分とかかわりのあるものに片っ端から名を与え、こうして言葉はつぎつぎにふえていった。したがって、当初、言葉はかならず現実の具体的な事物に対応していた。【3】けれども、もし言葉がそれをあらわす現実の個々の事物と一対一の対応関係をつづけていったなら、言葉は無限にふえつづけねばならない。ひとたび、そうした一般化に気付けば、言葉はすくすくと成長する。【4】一般化したものをさらにまとめて一般化し、それをもっと広い類概念にくくってゆくというふうに。そして、この一般化によって言葉も思考ももの離れし、現実の個々の事物から独立して、言葉独自の世界をつくりだすことに成功したのである。
【5】具体的な動作、あるいは事物の状況や性格についても同様であった。たとえば、考えるという動詞は「考え」という名詞に抽象されることで実際の動作から離れてひとつの概念になり、美しいという性状は「美しさ」というふうに一般化されることによって具体的な対象から抜けだして独立の観念へと成長した。【6】「考える」から「考え」への変質は、言葉のうえではきわめてかんたんのように思えるであろう。「美しい」から「美しさ」への一歩前進はいとも容易にみえるかもしれない。けれども、その一歩こそ、千鈞の重みを持っていたのである。【7】それは新しい概念の獲得であり、高度な観念の誕生であった。
どのような民族にあっても、言葉はこのような形で育ち、思考はそれとともに発展した。つかむという動作はドイツ語でベグライフェンbegreifenという。【8】何か物をつかむというその具体的な動作から、やがてベグリフBegriffという抽象名詞が生まれた。ベグリフというのは「概念」のことであり、つまり、手で物をつかむように、頭で事物をつかむ、それこそが「概念」なのである。∵
【9】もしわが国が他国の言葉の影響をこうむることなく、日本語を独自に育てあげることができたとしたならば、日本語にはもっとやさしい形で多くの抽象名詞がつくりだされたことであろう。【0】つかむという動詞は手づかみなどというように、つかみという名詞を生みだし、それがドイツ語の場合とおなじように「概念」という抽象名詞になったかもしれない。ところが、幸か不幸か、日本語はいわば初期の発展段階で、いってみれば幼児期に、すでに高度な文化を持っていた中国語に深く影響された。それは日本語もまだ充分に使いこなせない幼稚園の段階で、いきなりむずかしい外国語を教えこまれたようなものである。中国から文物を受け入れた奈良時代の日本人が、漢語をどのように扱ってよいのか、それにどんな和語をあてはめたらいいのか、途方にくれたであろうことは察するに難くない。
おなじとまどいは明治になって西欧の文化を輸入したときの日本人の対応においても見られる。英語やドイツ語やフランス語を明治の知識人たちは漢字の造語力を利用して苦心惨憺のすえ独特の和製漢語におきかえた。そして、第二次世界大戦後、日本人は三たびおびただしい外国語の海にただよう破目になった。この国を浸したアメリカ語の氾濫である。しかし、このときには日本人はもはや漢字の造語力によってそれを和製漢語に置きかえる努力を払わなかった。アメリカ語をそのままカタカナに表記してすませたのだ。その結果、日本語はおびただしいカタカナ語をかかえこむことになった。このようにして、日本語は、三たびにわたる外国語の流入のなかで悪戦苦闘してきたのである。
(森本哲郎の文章による)