■私はいじめと
私はいじめと、生徒のいさぎよくない行為に出くわしたときは、絶対許せなくなります。例えば、あることで他の生徒が白状しているのに、白々しく嘘を言い続ける生徒がいました。私は、バーンとテーブルを飛び越え、その生徒の横っツラを張り倒した。その折、何かの金具に手の甲が触れたのでしょう。私の手から血が流れ出しました。でも、殴るのをやめなかった。すると、周りの仲間がその生徒に言うのです。
「お前、早く謝れ。みんなバレているんだから謝れ、早く」
生徒は「なんだ、もうバレてしまってたのか」。実にあっけらかんとした表情で、すべてを白状しました。そんなことがあった後は、人間関係が逆に深まります。そして、彼らはさまざまな情報を私に提供してくれるようになるのです。
いまの学校現場には、こういう場面があまりにも少ないようです。若い先生などはヒステリックなまでの暴力反対の教育を受けてきているし、自分自身も受験勉強一筋でケンカをした体験がない。だから、小学校などではちょっとしたケンカでも教師がすぐ止めて、満足にケンカもさせません。
私は違います。こんなふうに生徒とやりとりをする。
「ケンカかあ、それともいじめかあ」
「ケンカです」
「そうか。じゃあ、机を隅に寄せて思う存分やらせろッ」
小学生、中学生のときのケンカは思いきりやらせればいい。そのなかで痛みもわかるし、それ以上やればどうなるかという頃合いも、自然と身に着いてきます。疲れたからもうやめたという具合にもなる。
「先生、頭にきたぜ」
「なんでだ」
「止めてくれればいいじゃないか」
私が止めないから、ケンカを続けなければならない。ケンカをしている双方が、「文句」をつけてくる。荒れる黒中時代はこんなケースがいくつもありました。
その荒れる子供たちが一番腹立たしく思うのは何か、ご存じでしょうか。それは教師に「シカト」されること、つまり「無視」されることなのです。ある男子生徒が卒業間際に話してくれました。一学期のある日の英語の授業で、教師が前の席の生徒から順番に質問をしてくる。「次はおれの番だ」と思った彼は、「わかりません」という言葉を用意して待っていたというのです。ところが、教師は彼をポンと飛ばして、次の生徒を指名した。瞬間、彼は逆上して、「ばかにするな、この野郎」と机をひっくり返し、教室を飛び出しました。以後、その教師の授業に出席することはなかったといいます。
愛情の反対は、憎しみではない。愛情の反対は無関心なのだ、と私は思うのです。机をひっくり返した生徒は「無視」という氷の刃をグサリと突き刺されました。彼は腹を立てるというよりも、悲しかったのです。
(「致知」九七年八月号 木村将人氏の文章より)
■祝う言葉
【1】祝う言葉という依頼なのだが、いきなり「バンザイ」とくると下品だろうか。たしかに最近では、選挙に勝った場面とか、とにかく多勢で酔っぱらって両手をあげている姿しか浮かばない。
【2】しかしこれはもともと中国の正月の習慣で、
五岳(注・中国で古来から崇拝されている五つの名山)の一つである泰山に皇帝が登り、「
万歳」
すなわち悠久の平和を祈る儀式に由来している。今の平和に感謝しつつ、それが一万年も続きますようにという祈りの言葉なのである。 【3】ところで私が祝いの言葉として「バンザイ」を挙げたのは、これが心底思いを込めて使われた場面に接したからである。
気仙沼のお寺の和尚が住職になる儀式だったが、修行時代の師匠である老師が本山から招かれ、「祝辞」という段になった。【4】その際、老師はしばし沈黙し、ぴったりと唇を閉じて虚空をにらみ、それから大声で「バンザーイ」と大声をあげた。それだけである。
長々とした祝辞が多いなかで、それは鮮やかな場面として今も脳裏によみがえる。伝わるものは言葉にしなくても伝わる。【5】いや、へたに言葉にする以上のものが伝わることがある。何人かの涙ぐむ人々を見ながら、私はそう思ったものだった。
しかしこれは極めて稀な例である。おそらく何度か見てしまえば、感慨も薄れるのかもしれない。【6】通常は、祝う心を丁寧に表現しないとそれは伝わらないし、それどころか、表現することで無意識だった気持ちまで引きだされたりもする。
「愛でたい」という気持ちを、わざわざ言葉に出して表現することを、日本では古来「ことほぐ(言祝ぐ)」と言う。【7】「寿」は、その名詞形である「ことほぎ」がさらに訛ったものだ。
禅ではこの「言祝ぎ」が重視される。なによりもまず自分の生まれた場所や親は選べなかったわけだから、そこから言祝いでしまうのである。この町に生まれて佳かった。【8】この両親のもとに生まれて佳かった、そこから始まって「今日は佳い台風だ」「今の私は素敵な年齢だ」「歯が痛いのもしみじみして味わい深い」などと、自∵分の立っている足許の状況をすべて肯定していくのである。
【9】むろん文句をいえば状況が変わるというなら、言ったらいい。しかし大抵の状況は、文句を言うと更にその不満が強く意識されるだけで、あまり意味がない。だから言っても仕方がない文句は言わず、言祝ぐことで「今」を安定させる。それが禅的な意味での「足るを知る」ということだ。
【0】(中略)
バンザイと叫んだところで、その事態が「
万歳」続くとは誰も思っちゃいない。しかし志さえ揺らがなければ、人生はさまざまな「ゆらぎ」さえ風流と味わえる。その人間の知恵に、私はバンザイを言いたいのである。
(
玄侑 宗久『釈迦に説法』による)
■世界は意外に早く多極型になる 田中 宇
https://tanakanews.com/230402multipol.htm
米覇権の衰退や覇権多極化はこれまで、潜在的な動きが多かったし、急進しているように見えなかった。多極化は私の妄想だと思う人も多かった。昨春ウクライナが開戦して、世界が、金融バブルだけで保持されている米覇権の米国側と、世界の資源類の大半の握って非ドル化・金資源本位制を目指す多極型の非米側に決定的に分割され、いずれ米国側が金融バブル崩壊して覇権衰退して世界が多極型に転換する流れが見え出した後も、この流れを指摘する人は少なかった。しかし先月から、米欧銀行の連鎖破綻と、中国による多極型世界の構築が始まり、米覇権衰退と多極型世界の具現化が急に進展し始めた。 (I Love How Everyone Pretends The Bank Crisis Is Over) (China And Brazil Strike Deal To Ditch The US Dollar)
中国に覇権運営なんてできるはずないと米国側のマスコミ権威筋が言い続けているうちに、中国は、イランとサウジアラビアの和解を実現して米英が不安定化し続けてきた中東を安定させ、ロシアとの結束を強めて中露で多極型体制を推進していくことを決めた(ロシアは先日7年ぶりに外交の基本戦略を改定し、米覇権への対抗と、多極型世界体制の防衛を盛り込んだ)。 (Russia’s revised foreign policy concept: Key points)
多極型体制は、諸大国が合意できる範囲で協力し合うゆるやかな体制で、米国の傀儡になることを参加国が強要される米覇権体制と対照的だ。ブラジルやインドなど諸大国から、イランやインドネシアやナイジェリアなど中規模国まで、米国支配に服従せねばならない米覇権よりも、自国の希望に沿って動ける多極型体制の方が良いと考えている。米国側より非米側の方がはるかに国家主権を認められる。そのため中露が多極型体制を正式提案したら、多くの国がすぐに賛成して米覇権を見捨てて非米側に鞍替えした。これまでBRICSや上海協力機構などの非米側で限定的に機能するだけだった多極型体制が、急に世界の主流になった。「中国とインドが主導権争いするので多極型は機能しない」などと頓珍漢を書いている日本などのマスコミは、多極型の特質を理解しておらず不勉強だ。(勉強したら米傀儡プロパガンダであり続けられない) (China is winning the diplomatic struggle against the US) (China and India battle for leadership of Global South)
非米側は、多極型であると同時に、世界の資源類の大半を握っている。主要な産油諸国のうち、米カナダ英ノルウェー以外はすべて非米側だ。3大ガス産出国(露イランカタール)もすべて非米側だ。産油国の盟主であるサウジアラビアがこの半年で、米国を捨てて非米側に転向したことが象徴的だ。サウジは3月29日、中露が作る上海機構の対話パートナーになると閣議決定した。上海機構は911事件のころ、米国が「テロ戦争」でユーラシア内陸部を不安定化しようとする策に対抗し、中国とロシアが長年の対立を解消して結束し、中央アジア諸国も誘ってユーラシア内陸部を安定化するために作った安保経済の協力組織だ。上海機構は、2009年に初めて首脳会議を開いたBRICSより古く、多極型の国際体制の元祖だ。 (Saudi Arabia Joins Shanghai Cooperation Organization As It Embraces China)
非米側が世界の資源類を握った状態で結束し、米国側の言うことを聞かなくなった。新たな世界が突然出現している。米国側の諸国(先進諸国)は米国の傀儡であり、米国が非米側を敵視しているので追随せざるを得ない。だが今後時間が経つにつれ、米国側は資源類が不足してインフレになり、経済を回せなくなる。米国側の諸国は、表向き「中露はけしからん」と言いつつ、非米側の主導役である中国と親しくしていかねばならない。 (Pozsar's Warning Of Dollar's Waning Sway Comes True)
その動きの象徴が、間もなく仏マクロン大統領とEU首脳のフォンデアライエンが中国を訪問する件だ(4月5-8日)。マクロンらは表向き「中国に対し、ロシアと親しくするなと加圧しに行く」と言っている。だが訪中の本当の主旨は多分そうでなく、非米側から資源類を買わせてくださいと頼みに行くことだ。最近、史上初の人民元建てのLNG輸出が、中国からフランスに向けて行われている。こういう感じで今後もお願いしますという話だ。 (China Settles First LNG Trade In Yuan) (France Willing To Work With China On 'Peaceful Solution' For Ukraine)
G7は団結して中国を制裁し、先進諸国の半導体製造機器を中国に売らないようにすると決める。半導体産業は、中国と米国側のどちらかを選ばねばならない。米国側に残るなら中国と縁を切らねばならないし、中国側に行くなら米国側との縁切りになる。今までなら、この二者択一に対する答えは米国側であり、疑問の余地はなかった。だが、今後は違う。米国側は、これから米欧の巨大な金融バブルが崩壊し、半導体の需要も急減する。対照的に中国など非米側は、多極型になるので経済が安定し、長期的な発展が具現化する。好戦的な米英がいないので、多極型世界は国際紛争が激減する。半導体の需要も増加する。衰退する米国側でなく、発展する中国側を選びたい企業が増える。G7の中国制裁は、中国でなくG7諸国を打撃する。ウクライナ開戦後の対露制裁と同じ構造を持っている。 (US-China Decoupling Will Force Europe To Choose Sides Sooner Rather Than Later)
米欧の銀行危機は間もなく再燃しそうだ。米国の経済学者ヌリエル・ルビーニが最近、米国のほとんどの銀行は、米連銀の連続的な利上げを受けて、すでに支払不能の状態にあると指摘した。金融システムが脆弱化し、わずかな衝撃で危機が再燃し、しだいに全崩壊に向かっていく。非米側は、米国がドル決済の禁止を経済制裁として使うので回避措置として貿易決済を非米諸国の通貨で行う非ドル化を進めたが、これが奏功し、米国側が金融崩壊しても非米側は意外に被害を受けなくなっている。米覇権の崩壊は不可避だ。その後の米国側(日本とか)がどうなるのか予測していく必要があるが、権威筋はこの事態を全く無視している。 (Nouriel Roubini claims that most U.S. banks are technically near insolvency)
米国側と非米側に決定的に分裂した今の世界は、資源類を非米側に握られ、欧日など米国側(米傀儡諸国)は、中国など非米側を敵視し続けることができなくなり、口だけ米傀儡であり続けつつ、裏でこっそり中国にすり寄って非米側に非公式参加せざるを得ない。日本は安倍晋三が数年前に米中両属体制を敷いたが、今や欧州も米中両属をやらざるを得なくなった。それがマクロンとフォンデアライエンの訪中の意図だ。米国は経済的に金融崩壊に直面し、国内政治的に共和党への弾圧など頓珍漢が悪化しており、国際政治的に孤立化していく。世界は意外に早く多極型になる。