言葉の森新聞2024年4月2週号 通算第1798号
文責 中根克明(森川林)
■■算数数学の苦手な子は、夏休み中に1冊の問題集の解答を完璧に覚える勉強を――しかし、もっと大事なのは読書によって自分の考えを広げること
算数数学の苦手な子がいます。
苦手な原因は、前の学年でやるべき基礎ができていないことです。
また、できない子の多くは、勉強の仕方でも、できる問題だけを作業的にやっています。
だから、できない問題は、いつまでもできません。
どうしたら、できない問題ができるようになるかというと、それは、できなかった問題の解法を丸ごと覚えることです。
だから、解答をいつも横に置いて勉強を進めていくといいのです。
ところで、今の受験のための算数数学には、ただ生徒に点数の差をつけるだけの問題もあります。
テストの目的が、生徒の実力をつけるためではなく、生徒の間に点数の差をつけるためになっているのです。
教える先生の多くが、そういうテストをくぐり抜けてきた人なので、そういう勉強を教えることがいいことだと思って授業をしています。
算数数学を得意にするためには、今の学年、又は、その前の学年の問題集を1冊、夏休み中に完璧に仕上げることです。
しかし、算数数学ができるようになっても、受験には役立ちますが、人生にはあまり役立ちません。
例えば、因数分解には、いろいろなパターンがありますが、そういうパターンをいくら知っていても、それが勉強以外の何かの役に立つということはありません。
因数分解で解を見つけるかわりに、根の公式を使えば、答えは計算で求めることができます。
この公式を作った人は偉いと思いますが、普通の人は、必要に応じてこういう公式を利用すればいいのです。
同じような公式として、誰でも利用しているのが、三角形の面積、台形の面積、円の面積、球の体積などです。
もし、球の体積を忘れたとしても、それは調べればいいだけです。
なぜ忘れたかというと、日常生活で使う必要がなかったからです。
では、どういう勉強が役に立つかというと、それは幅広い読書です。
子供たちは、家庭と学校と友達という狭い枠の中で生活しています。
社会は無限と言っていいほど広いのに、子供たちの住む世界は、狭い与えられた枠に限定されています。
この枠を超えるものが、読書です。
枠を超える読書は、物語文の読書よりも、主に説明文の読書です。
中学生や高校生が読む本は、ちくまプリマー新書や岩波ジュニア新書などにたくさんあります。
大学生や社会人になったら、もっと読書の幅を広げることができます。
自分らしい人生を見つけるためには、勉強に力を入れる以上に、読書に力を入れていくことなのです。
■■作文を上手に書くためのわかりやすい目標は、小学生は字数、中学生高校生は森リン点。しかし、大事なのは、作文を通して考える力を深めること、長文読解を通して読む力をつけること
子供の書いた作文を見ると、お母さんやお父さんは、その作文に対してアドバイスをしたくなると思います。
しかし、そのアドバイスは、多くの場合、子供のやる気をなくさせる結果になります。
学校教育でも、作文指導に熱心な先生に教えられると、クラスの多くの子が作文嫌いになるという結果が出ています。
作文は、教えたくなるものですが、教えるものではなく、いいところを認めてあげるものなのです。
では、そのいいところは何かというと、基本は事前の項目指導ですが、作文指導の経歴の長い先生は、すぐに生徒の作文のいいところを見つけることができます。
作文指導の経験の少ない人ほど、子供に、いろいろな注意をします。
それらの注意は、どれもまともな注意ですが、大半の子はそれで作文が嫌いになります。
作文を上達させるための基本は、まず読書の量を増やすことです。
次に、字数を、学年の100~200倍まで書けるようにすることです。
例えば、小学6年生であれば、いつも600~1200字の作文を書けるようになるということです。
中高生の場合、字数1200字以上ということができれば、それからは森リン点の上昇を目指すことです。
ただし、森リン点は、1年間に2ポイント程度しか上がりません。
作文の上達には、時間がかかるのです。
ところで、作文を教えている教室は、言葉の森以外にもあると思います。
しかし、それらの教室のほとんどは、何のために作文を教えているのかという目標がありません。
例えば、最近の作文通信教育講座ぶんぶんドリムのキャッチフレーズは、「伝えたいこと、言葉にできますか?」でした。
作文でも、会話でも、誰でも、自分の言葉で自分の考えを伝えています。
例えば、お腹が空いていれば、誰でも、「おなかがすいた」といいます。
伝えたいことがあれば、誰でもそれを伝えます。
こういう条件反射的な言葉を使えることが、作文教育の目標なのではありません。
小学校高学年になると、「人間にとって食事とは、何か」と考えるような主題が作文の中心になります。
食事は、栄養であるとともに、文化であり、また回りの人との交流の機会でもあります。
そういうことを考えることが、作文を通して考えるということです。
では、そういう考えを深めるためには、どうしたらいいのかというと、それは作文の表現を工夫するより前に、読書と対話に力を入れることなのです。
4月2日に、「森からゆうびん」で、全生徒の作文字数の推移と、読解検定の推移のグラフを送りました。
これが、これからの作文の勉強の出発点です。
まず、字数が学年の200倍以上になることを目指していきましょう。
字数が書けるようになった人は、森リン点が86点以上になることを目指していきましょう。
読解検定については、平均点を60点前後と考えて、いつでも60点以上取ること目指していきましょう。
■■これからの勉強の中心は、創造と発表。知識を詰め込むだけの勉強や、点数の差をつけることを目的にした勉強で高得点を取れるようになることは時代遅れに
勉強の目的は、実力をつけることです。
そして、その実力の土台の上に、創造性を生かし、社会に貢献できるようになることです。
しかし、今の日本の教育では、実力をつける勉強よりも、競争に勝つことが勉強の目的になっています。
例えば、先日、中学生の数学の問題集につぎのような例題が載っていました。
https://www.mori7.com/izumi/gazou/2024/4061525270.jpg
(そんなに面白い問題ではないので、考えなくていいです。)
人間の頭脳は、立体をそのまま把握することに慣れていません。
だから、難問には、立体が使われることが多いのです。
しかし、そういう問題が出されるのは、その問題を解けるようになることが、人生にとって必要だからではなく、点数の差をつける競争に勝つために必要だからです。
確かに、こういう問題は、解法の手順に沿って考えれば理解できます。
しかし、それは、数学の問題というよりも、読解の問題です。
読解力をつけることは大事ですが、この問題を解くこと自体には意味がありません。
それなのに、なぜこういう問題が出されるかというと、それはただ○と×の差をつけるためなのです。
このような必要以上の難問が出されることによる弊害は2つあります。
ひとつは、勉強のよくできる子は、無意味な勉強に時間を取られることです。
もうひとつは、勉強のふつうにできる子は、勉強が嫌いになることです。
勉強の先にあるものは、入試に合格することではなく、社会に出て活躍することです。
社会に出て仕事をするために必要だから勉強をするのであって、競争に勝つために勉強をするのではありません。
しかし、今は、ほとんどの子は、競争に勝つための勉強に追われています。
昔の教育では、できない子がいると、先生はその子ができるようになるまで教えました。
例えば、寺子屋時代の教育は、全員ができるようになるための教育でした。
だから、勉強の中心は、素読や暗唱や算盤(そろばん)でした。
その先の勉強をしたい子は、更に高度な本を読む勉強に進みました。
今の教育は、子供たちに差をつけるための教育になっています。
だから、先生も、その差をあきらめているのです。
勉強を本来の目的に戻すためには、2つのことが考えられます。
ひとつは、実力をつけるための勉強は、能率よく行うことです。
そのためには、勉強の中心は家庭での自主学習とすることです。
家庭での自主学習は、ChatGPTなどの利用で現実的なものになってきています。
そして、今の基準で言えば、どの教科も80点以上、5段階の成績でオール4以上が取れることを目標にすればいいのです。
100点を目指したり、オール5を目指したりする勉強は、競争時代の勉強です。
もうひとつは、創造と発表の勉強に力を入れることです。
昔は、創造と発表の勉強というのは、遊びのように見なされていました。
それは、創造力や発表力は、受験のためには必要がなかったからです。
創造を生かすのではなく決められたとおりにやること、発表ではなく言われたことを素直に吸収することが、かつての勉強の中心でした。
しかし、近年の大学入試における総合選抜の広がりに見られるように、時代は変わっています。
社会全体が、創造と発表を求めるようになってきているのです。
高校における探究学習も、この流れのひとつです。
しかし、探究学習も、これからは時代遅れになります。
読書感想文コンクールが時代遅れになったように、探究学習もわざわざ学習と呼べるようなものではなくなっています。
ChatGPTを利用すれば、必要な探求学習は数時間でできます。
これから大事になるのは、その探求の結果をもとに、自分がどういう問題意識を持ち、何を創造するかということです。
この創造とセットになっているものが発表です。
これからの勉強は、実力をつけるための勉強と、創造と発表の勉強になっていくのです。