元の記事:言葉の森新聞2024年4月3週号 通算第1799号 (2899字)
言葉の森事務局(jun)
2024/04/15 16:22:41 15978 5 言葉の森新聞2024年4月3週号 通算第1799号
文責 中根克明(森川林)
■■総合選抜のゴールを大学入試だと思わないこと。大事なものはもっと先にある。その基礎になるものは読書と作文と人との交流
大学の総合選抜入試が、次第に一般的になってきました。
そこで共通しているのは、当然ですが、大学入試がゴールになっていることです。
高校生にとっても、保護者にとっても、大学入試は当面のゴールです。
しかし、その先を考えている人はあまりいません。
確かに、いい大学に入れば、いい就職ができます。
就職試験では、大学のブランドが影響します。
場合によっては、その前の高校のブランドも影響します。
しかし、大学名や高校名で採用を決める企業は、今がピークになっている古い企業です。
入ってよかったと思うのは、最初のうちだけです。
人間は、会社の肩に乗って仕事をするのではなく、自分の力で仕事をするべきです。
総合選抜で大学に入ったあとは、その自分の個性を生かして、学問に励むことです。
その学問を、自分の仕事にするように工夫していくことです。
そういう自分の人生を歩むために大事なことは、読書と作文と人との交流です。
■■次回の「森からゆうびん」に読書記録を載せます。読書力は学力の土台。学力のもとになるのは理解力と思考力。思考力のある子は、自然に難しい本を読みたくなる
読書は、何を読んでもいいのです。
小学校低学年であれば、漫画でも読む力をつけます。
しかし、小学校中学年になって学習まんがだけを読んでいると読書力が低下します。
学習まんがは、もちろん知識を身につけるので、読んでいいのですが、それ以外に字の多い本を読む必要があります。
読書力は、学力の土台です。
読書をしていない子は、勉強だけを一生懸命にしているように見えても成績はなかなか上がりません。
それは、理解する力と思考する力がついていないからです。
この読書力による学力の伸びの差は、中学生、高校生と学年が上がるごとに明らかになってきます。
本をよく読んでいると言っても、それが物語文中心であれば、中高生以上の学力は伸びません。
頭のいい子は、物語文だけの読書に物足りなさを感じるようになってきます。
もっと考える文章を読みたいと思うようになるのです。
それが、説明文や意見文の読書です。
説明文や意見文の読書を読みたいと思わないのは、まだ考える力が育っていないからです。
では、考える力を育てるためには、どうしたらいいかというと、それは説明文や意見文の本を読み慣れるしかないのです。
今の社会では、学校の成績だけが表面に出てきます。
だから、親も子も、成績には敏感です。
しかし、社会に出てから実力として生きてくるのは、学校時代の成績ではありません。
その子が、どれくらい自分で考えて、ものごとを理解して、自分で行動できるかということです。
その土台になるのが、読書と作文です。
勉強は、やる気になれば、すぐにできるようになります。
もちろん、すぐにとは言っても、科目によって数ヶ月かかることもあります。
しかし、理解する力と思考する力があれば、勉強の成績を上げるのは、短期間でできるのです。
理解力と思考力は、短期間では育ちません。
読書記録のそれぞれの生徒の冊数を見ても、毎日50ページ以上読んでいる子もいれば、1か月で1冊をやっと読む子もいます。
この読書の質と量の差は、今の教育の中では出てきません。
だから、多くの子供が、読書を後回しにしてしまうのです。
そこで、次回の「森からゆうびん」で、生徒ごとに最近読んだ本を表示します。
この読書記録を見て、これから有意義な読書に取り組むようにしていってください。
■■自分が知能テストだけは学年で1番だったわけ(その1)
これは、自慢話ではなく、今、小学校の特に低学年の子供さんを育てている方の参考になる話だと思うので書くことにしました。
というのは、小学校低学年の子の子育てで、考え違いをしている人が多いように思ったからです。
私は、学校で行われる知能テストは、6のときに3クラスある学年の中でいつも1番でした。
あるときは、点数が高すぎるから、やり直しをさせられたこともあります。
知能テストは1番でしたが、勉強はあまりせずに教科書に落書きばかり書いていたので、成績はクラスで10番ぐらいでした。
それは、小学校のときだけでなく、中学生になってからも同じでした。
しかし、中3になって、夏ごろから高校入試の勉強を始めると、見る見る成績が上がり、最後の学校の全体テストでは、学年で1番になりました。
だから、入った高校では、選抜クラスというところに入れられ、そのまま高3まで理科系の選抜クラスで勉強しました。
大学入試でどこを受けるかを決めるときに、自分の好きなものは何かと考えて、花が好きだと思いました。
近所の藪に咲いていた紫の野菊の花がきれいだったからです。
当時、国立大学で園芸学部があったのは千葉大と鳥取大だけだったので、横浜から通える千葉大を受けることにしました。
高校の先生との面談で、ほかの大学を勧められましたが、園芸学部と決めていたので、そのまま園芸学部を受験しました。
入試の本番では、当時読んでいた本の影響で、テストはいちばん早く終わらせていちばん早く出るのが格好いいと思っていたので、いちばん早く答案を提出して出てきました。
こういう経験から考えると、子供時代に大事なことは成績を上げることではなく、頭をよくすることだと思うのです。
成績などは、やる気になれば、すぐに上がります。
逆に、成績だけを上げていると、学年が上がるにつれて、成績が落ちてきます。
それは、成績の土台になる頭が育っていないからです。
わたしのうちの子供たちが保育園時代、友達はみんな、公文などでいろいろな勉強をしていました。
幼児ですから、遊びの中で、みんなが自分のできることを自慢することがあります。
うちの子だけは、その話についていけず、みんなの自慢を感心して聞いているだけでした。
あるとき、小学1年生に上がるかその前の小さい子供たちが、みんな、私の家に集まって暇そうにしていたので、ゲームをしたことがあります。
「だれが、いつどこで、何をしたら、どうなって、どうなった」という短文を書いて組み合わせるゲームです。
そういうゲームをすぐに喜んでする子と、なかなか思いつかずにいつまでも書けない子がいました。
私は、ふと、そのとき、算数の計算を仕方を知っているとか、難しい漢字を書けるとか、いろいろな知識を知っているとかいうことよりも、こういう短文作りのゲームを楽しめる子が、本当に頭のいい子ではないかと思いました。
実際に、小学校低中学年のころによくできていた子供たちが、意外と中学、高校で伸び悩み、平凡な成績になっていったのです。
だから、今、小学校低中学年の子育てをしているお母さん方は、成績を上げるようなことではなく、頭をよくすることに力を入れていくことだと思うのです。
(つづく)