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オープンの川


言葉の森新聞2024年6月3週号 通算第1807号 (9642字) 言葉の森事務局(jun) 2024/06/16 10:35:46 16156

言葉の森新聞2024年6月3週号 通算第1807号
文責 中根克明(森川林)


■■読書を阻むものは、肉体労働、スポーツ、くたびれる日々の生活。読書の習慣は、1日でも途絶えるとそのままなくなることが多い。何しろ毎日読むことを目標に。そのための方法として役立つタイマーと付箋読書

 ●動画 https://youtu.be/mJc1dvk1f7A

 子供たちの勉強の様子を見ていると、スポーツの好きな子は、あまり読書をしない傾向があるように思いました。
 もちろん、例外はたくさんあります。
 スポーツも読書もという人は多いです。

 しかし、そのとき思ったのは、肉体労働が続くと、本を読みたくなくなるという自分の体験でした。
 学生時代、アルバイトで、マンションの4階まで重い荷物をいくつも運ぶという仕事を何日もしていたとき、仕事が終わって下宿に戻っても、本を読む気が起きませんでした。
 時間はたっぷりあるのに、読書をしようという気にならないのです。

 「重力と恩寵」を書いたシモーヌ・ヴェイユも、工場労働の経験のあとに、確かそのようなことを書いていました。
 激しい肉体労働は、人間から、読むことや考える時間を奪うのです。


 もちろん、スポーツは、いいものだと思います。
 努力や向上心や目標など、人間の成長に役立つ面を持っています。

 しかし、今人気のスポーツは、競争で勝つことを目的にしているので、かえって人間の成長にとって歪んだ面を持っています。
 スポーツは、楽しくやればいいのであって、競争に勝つためにやるものではありません。


 そのスポーツに少し似ているのが受験勉強です。
 小学生時代に、よく本を読んでいていい作文を書いていた子が、受験勉強をしている間に本を読む時間がなくなり、その後、受験に合格したあとも本を読む習慣がなくなったということがありました。

 読書は、生活習慣のようなものですから、読まない日が何日か続くと、その習慣が途絶えることがあるのです。

 そして、本を読まないということは、考える時間がなくなるということです。

 次のような記事がありました。
====
週5フルタイムで働き、疲れ、本を読みたくてもSNSやYouTubeをぼーっと眺めてしまう、そんな生活おかしくないか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81348?page=3
(この記事は、面白いのですが、ログインを強制されるので読まなくていいです。私はここに登録したことがありますが、そのメールとパスワードが認証されませんでした(笑)。)

 正直、本を読む時間はあったのです。
 電車に乗っている時間や、夜寝る前の自由時間、私はSNSやYouTubeをぼうっと眺めていました。あるいは友達と飲み会で喋ったり、休日の朝に寝だめしたりする時間を、読書に充てたらいいのです。
 だけど、それができなかった。本を開いても、目が自然と閉じてしまう。なんとなく手がスマホのSNSアプリを開いてしまう。夜はいつまでもYouTubeを眺めてしまう。
 あんなに、本を読むことが好きだったのに。
====

 仕事に追われる人、勉強に追われる人、ほかの何かに追われる人は、本を読む時間がなくなります。
 そして、その空白な時間を、YouTubeを見たり、SNSでやりとりをしたりするようになるのです。

 YouTubeは、役に立つ情報も多いので、いいメディアだと思います。
 しかし、昔のテレビに似ています。
 テレビは、特に見たいものがないときでも、漠然とつける家庭が多かったのです。


 では、どうしたらいいかというと、具体的には2つの方法があります。

 第一は、タイマーをセットして、
「ちょっとYouTubeでも見て息抜きをしたいから、10分だけ見てみよう」
という時間制限をすることです。
 もちろん、面白い番組であれば、もう一度10分のタイマーをセットし直せばいいのです。
 大事なのは、タイマーをセットすることによって、本来の自分を取り戻すきっかけがつかめるということです。

 第二は、読書は、付箋読書で読むことです。
 説明文の難しい本は、読むきっかけがつかめないと、読みかけで終わってしまいます。
 しかし、読んだところまでに付箋をつけておくと、すぐに読み続けることができます。
 そして、ある程度読んだあとに、また付箋をつけておけばいいのです。


 人間は、身体を持っているので、手に触れる世界(タンジブルな世界)で生きています。
 例えば、時間というものは、本来はあるかないかわからないものですが、人類はその時間を触れることのできる時間とするために時計を発明しました。

 現在は、情報のメディアが次々に押し寄せてくるので、そのままでいると、情報に流されてしまいます。
 情報に流されないためのひとつの方法が読書で、もうひとつの方法が文章を書くことで、第三の方法が発明や発見という自分なりの創造です。


■■毎週作文を書くのが大変というのは、根性なさすぎ。本多静六は、毎日原稿用紙3枚の文章を書いていた

 ●動画 https://youtu.be/y-7zD_aDz5Y

 たまにですが、「毎週作文を書くのが大変」と言う人がいます。

 もちろん、作文を書くというのは大変です。
 だから、学校で作文の宿題があった日に、もうひとつ新しい作文を書くというのは、子供にとってかなり負担です。

 しかし、1日に1つの作文を書くというのは、がんばれば誰でもできることです。
 まして、週に1回の作文を書くのが大変というのは、根性がなさすぎです。


 1200字の作文を書くのは、早い人で60分、普通は90分はかかります。
 書くことに慣れないうちは、3時間ぐらいかかります。

 その時間は、ずっと考えを集中させて文章を埋めていかなければなりません。
 しかし、だから、考える力がつくのです。


 本多静六は、人に読ませられる文章を、毎日、原稿用紙に3枚書くことを自分に課していました。
 毎日ですから、風邪などで休んだときは、次の日に、その休んだ分を取り戻すために何日分も書きました。

 ただし、これは、やりすぎだと思います(笑)。
 休んだ分は、休んだことにしておしまいにしておけばいいのです。
 過去はふりかえらずに、今日から先のことをがんばることです。


 しかし、毎日、文章を書くというのは、やろうと思えば誰でもできます。
 週に1回の作文も、当然、やろうと思えば誰でもできます。


 私も、学生時代、マスコミの入社試験を受けるときは、1年間、毎日1200字の文章を書くことを日課にしていました。
 近所の喫茶店に入り、1200字書き終わるまでその店を出ないということにしていたのです。店にとってはいい迷惑です。

 その結果、作文だけは上達しましたが、試験には面接で軽く落とされました(笑)。
 理由は、学生運動をがんばってやっていたからです。
 しかし、今は、落とされてよかったのだろうと思っています。


 「毎週、作文を書くのが大変」などというのは、根性がないだけです。
 普通の大人は、「毎日、仕事をするのが大変」などと言いません。
 みんな、大変だと思っても続けています。


 ところが、最近の保護者は、子供に甘いところがあり、子供に我慢させるということをあまりしません。
 これは、戦後の教育のマイナス面のひとつだと思います。

 親が必要と思ったことは、子供が嫌がってもさせることです。
 ただし、そのときの「必要」の基準が大事です。

 受験に合格するために必要というような外面の基準ではなく、人間として生きるために何が必要かという内面の基準としてその基準を考えることです。

 内面の基準に基づいた強制は、たとえそのとき子供嫌がったとしても、それがその子を成長させることになるのです。


■■本当の勉強は、高校生になってから始まる。小学生、中学生のうちに勉強に消耗しないことが大事。勉強の目的はもっと遠いところにある

 ●動画 https://youtu.be/PUxtQwUTXBw

 次のような記事がありました、。
====
「都立トップ高校」と「中学受験御三家」はどちらが難しい? 高校受験塾講師が語る、都立高校の最新事情
https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/223254
====

 これは、いい記事です。
 しかし、大きく見れば、こんなことはどうでもいいのです。
 これは、ガラパゴスの世界だからです。
 しかし、今、小学生や中学生の子供を育てている保護者にとっては、重要なことだということもわかります。


 これまで、多くの子供たちを見ていて、私は勉強のやりすぎの弊害というのをしばしば感じてきました。

 人間が自覚して勉強を始めるのは、中学3年生の15歳ぐらいになってからです。
 それまでは、勉強に対する自覚も、人生に対する自覚もないのが普通です。

 だから、15歳までは、楽しく過ごしていればいいのです。
 ただし、一応毎日の家庭学習をして、毎日の読書をすることが前提です。
 そして、普通に生活していれば、本人の自覚が生まれたときに、誰でも猛烈に勉強するようになります。


 小中学生までの勉強は、登山で言えば、まだ麓(ふもと)近くのなだらかなアプローチの部分です。
 そのあと、本当に差がつくのは、高校生になり、山道の斜面が次第に急になってからです。
 そこで逆転が起こるのです。

 低山のアプローチでがんばりすぎた子が、息切れをしてしまうことがよくあります。
 そして、それまでのんびりやっていた子が、先を歩いていた子を次々と追い越していくのです。

 だから、大事なことは、子供の自然な成長を大事にすることです。
 それは、無理をしないということです。

 無理をさせる方法は、いくらでもあります。
 競争させたたり、賞を与えたり、罰を与えたりする仕組みはさまざまに工夫されています。

 子供は素直ですから、それらの方法にすぐに乗ってきます。
 しかし、それが、子供の自主性を失わせてしまうのです。


 子供たちの勉強の目的は、いい学校に入ることやいい会社に入ることではありません。
 ここが難しいところですが、自分の力でいい仕事を作り出し、世の中に貢献することが本当の目的です。


 私は、自分が教えている子供たちを見るときに、その子の今の成績がどうだとか、どこの大学に入るかということは考えません。

 考えるのは、その子が将来どういう仕事をして社会で活躍するのだろうかということです。
 すると、みんな大きな可能性を持っていることがわかるのです。
 文字どおり無限の可能性です。
 だから、今の学校のテストが何点だったかということは、どうでもいいことです。(とは言わないけど(笑))


 保護者の方は、子供に密着しているので、つい明日のテストの成績というようなところに目が向きがちだと思います。

 だから、意識的に、遠い未来を見て子供たちを育てていく必要があります。


 そのために、競争の世界ではなく、創造の世界を目指すことです。

 競争で、1位になるとか2位になるとか、賞を取るとか、誰かに認められるとか、勝つとか負けるとかいうことは、古い時代の価値観です。

 新しい時代の価値観は、言葉で言えば、幸福、向上、創造、貢献です。

 その中のひとつ、子供の幸福に関して言えば、いちばんの基礎は、お母さんがいつも笑顔でいることです。

 向上に関して言えば、作文と創造発表を通して親子の対話を楽しむことです。


■■夢のない子供たち。新しい野心的な目標を持つために、まず難しい本を読むこと

 ●動画 https://youtu.be/t1XSyOyt8a8

 子供たちの勉強を見ていて疑問に思うのは、みんなの目標が、次のテストをどうするとか、次の試合をどうするとか、次の発表会をどうするとかいうことばかりなことです。

 そういう当面の目標は、もちろん大事です。
 しかし、私は、当面の目標だけでなく、もっと大きい目標があるべきだと思うのです。

 今の子供たちの大きい目標は、せいぜいどこの大学に入りたいとか、どういう職業につきたいとかいうことになってしまいます。

 それよりも更に大きい野心的な目標を持たなければなりません。
 それが、若者の役割です。
 目先の目標だけでは、日本はよくなりません。

 戦後の日本は、国自体が発展していました。
 国の成長に乗れば、それが自分も社会も発展させることになりました。

 しかし、今は日本の国そのものが低下しています。
 沈みつつある船の上で、既存の仕組みに乗るのではなく、新しい船を作ることが若者の役割です。

 そのために必要なのは、考えることと読書をすることです。
 それが、そのあとの挑戦につながります。

 中学生や高校生のみなさんは、難しい本をがんばって読み続けてください。
 毎日50ページが目標です。
 そして、毎週1200字の作文を書いていきましょう。

 今は、中高生向けの読みやすい説明文の本があります。
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E6%96%B0%E6%9B%B8
 こういう本を出発点にして、自分の関心のある分野を更に深めていってください。


 宇宙戦艦ヤマトの歌を聴いて元気にやっていきましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=iBVMVbLAISw

 私たちは、みんなが楽しく暮らせる世界を願っています。

 しかし、もし、その平和を脅かすものがあればいつでも戦うことができます。
 それが日本人です。


 やがて、こういう無意味な戦いの時代はなくなります。
 しかし、今はまだ、その時代の一歩手前なのです。

 私は、松本零士さんは、そういうことを知っていたのだと思います。

 3番の歌詞がいいです。

【「宇宙戦艦ヤマト」の歌詞】
さらば地球よ 旅立つ船は 宇宙戦艦ヤマト
宇宙の彼方 イスカンダルへ 運命背負い 今飛び立つ
必ずここへ 帰って来ると 手を振る人に 笑顔で答え
銀河を離れ イスカンダルへ はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

さらば地球よ 愛する人よ 宇宙戦艦ヤマト
地球を救う 使命を帯びて 戦う男 燃えるロマン
誰かがこれを やらねばならぬ 期待の人が 俺たちならば
銀河を離れ イスカンダルへ はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

さらば地球よ 緑の星よ 宇宙戦艦ヤマト
花咲く丘よ 鳥鳴く森よ 魚(うお)棲む水よ 永久(とわ)に永久に
愛しい人が 幸せの歌 ほほ笑みながら 歌えるように
銀河をはなれ イスカンダルへ はるばるのぞむ 宇宙戦艦 ヤマト

さらば地球よ 再び遭おう 宇宙戦艦ヤマト
戦いの場へ 旅路は遥か 命の糸が 張りつめている
別れじゃないと 心で叫び 今 紫の 闇路(やみじ)の中へー
銀河をはなれ イスカンダルへ はるばるのぞむ 宇宙戦艦 ヤマト


■■国語力は、テクニックの前に読む力をつけることが大事。テクニックは短期間で身につくが、将来本当に役に立つのは難しい文章を読み取る力

 ●動画 https://youtu.be/3nfxpe9dxfU

 読書と国語について、次のような記事がありました。
 タイトルが中身と合っていませんが(笑)。
====
「読書習慣のある子」が“国語が得意な子”ではない…国語講師が語る「納得の理由」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30c2b4ed98fb84d63d61176afb6c00eb10e87b7

 とはいえ、読書習慣自体が悪いものかと言えばそんなことは全然ありません。本好きという特性は国語を得意教科にしてくれる力があります。
 もし、お子さんに読書習慣があるならば、さきほどお伝えしたように、まずは「客観的に読むこと」を教えてあげましょう。
====

 取材した記者が、自分の子供が本を読まないけれど、国語力を上げるにはどうしたらいいかという問題意識で記事を書いたのだと思います。


 国語力は、読む力と解く力の総合力です。

 読む力があっても、解く力のない子は、点数が上がりません。
 しかし、これはすぐに改善できます。
 読む力さえあれば、解く力は短期間で身につくのです。

 しかし、逆の場合で、読む力がない子が解く力をつけるのは、ある程度までしかできません。
 易しい文章は、解く力だけで解けますが、難しい文章になると、解く力では解けないのです。

 「客観的に読むこと」と言っても、読む力のないうちは、客観的にさえ読めないからです。


 そして、もっと大きな問題は、何のために国語の勉強をしているのかということです。
 国語の成績を上げるための国語の勉強などは、子供が将来社会に出て仕事をするときに、何の役にも立ちません。

 役に立つのは、読む力です。

 しかし、その「読む力」とは、小説を読む力ではありません。
 しっかりした説明文や意見文を読む力です。

 目の前の国語の成績にとらわれることなく、子供の本当の成長のために読む力をつけていってください。


 ただし、小学校低中学年で、難しい説明文や意見文を無理に読ませようとすると、読書の量自体が減ってしまいます。
 小学生の読書量は、1週間に2冊が目安です。
 中学生は、1週間に1冊です。


 基本は、楽しい読書をすることですから、物語文の読書でもちろんいいのです。
 しかし、子供が小学校高学年、中学生、高校生になるにつれて、次第に説明文や意見文のある程度難しい本が読めるようにしていってください。

 これは、国語の成績を上げることよりもずっと大事なことなのです。


■■子供の語彙力を育てるのは、学習まんがでも、子ども新聞でも、図鑑でも、辞典でもなく、親子の知的な対話。そのために必要なものは

 ●動画 https://youtu.be/qWQpx_8C0Qg

 面白い記事がありました。
 基本は合っていますが、ちょっと違うと思ったことがありました。

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「語彙力がある子」たちの習慣…国語講師が見つけた「例外なき共通点」とは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/d11b4d1a5874e4d2b36dd31851e944e1ae9e9a95

 一方で、「語彙が乏しい子」に共通する点にも少し触れたいと思いますが、これは「家庭が言葉に触れられる環境になっていない」ことがあげられると思います。
 当然ですが、親の語彙力は子どもに影響します。いつも同じ言葉で話しかけていては、語彙は伸びていきません。お子さんには、ぜひいろんな言葉で話しかけてみてください。
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 この話は、本当です。
 親が子供にいろいろな話しかけをすることが大事です。
 しかも、その話しかけは、単なるお喋りでも、単なる知識の伝達でもなく、知的な話しかけであることが必要です。


 昔、横断歩道で信号待ちをしている親子の、お母さんが子供に、
「赤が止まれで青が進めよ」
と言っているのを聞きました。

 そのとき、そういうことを言うなら、
「赤の止まれが青になるときはすぐ青なのに、青の進めが赤になるときは途中に黄色が入るのはどうしてかなあ」
などと言えば面白いのになあと思ったことがありました。

 別に、それは答えを要求するための話しかけではありません。
 正解を求めるような話しかけではなく、親子の対話を楽しむ話しかけなのです。

 同じことを感じたのは、ドクター・中松さんの「お母様」を読んだときです。 中松さんの母親が、折に触れて、知的な対話を楽しんでいたのです。


 「『語彙力がある子』たちの習慣」の記事の最初の方に、次のような話があります。

「(毎年一番勉強できる子に勉強の仕方を聞いて)その結果わかったことは、ひとりの例外もなく全員、語彙や言葉に関する「学習まんが」で学んでいたということです。」

 これだけ読むと、では、子供に「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」をたくさん与えておけばいいと思うかもしれませんが、そうではありません。

 そういうものに関心を持つ土台として、最初に親子の知的な対話があるのです。
 そして、親子の知的な対話があれば、「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」は、特になくても何も問題ありません。

 「学習まんが」や「子ども新聞」は、結果であって原因ではありません。


 では、親子の知的な対話をどうしたら進められるのかというと、それは作文です。

 これまで、勉強のよくできる子は、お父さんやお母さんと、作文の課題を通していろいろな話をしていました。

 例えば、「がんばったこと」という題名では、親が子供時代にがんばったことを話して聞かせてあげます。

 「友情について」という題名でも、親が子供に、子供時代に友情を感じた経験を話してあげます。

 「自然の多様性」という題名でも、親がこれまで経験した多様性の考えを子供に話してあげます。

 こういう話が、毎週できるのが作文です。
 もちろん、その話が、作文に出てこなくてもいいのです。
 親子で話した言葉は、そのまま子供の語彙力になっていきます。
 そして、子供は単に語彙力を伸ばすだけでなく、お父さんやお母さんの生きた人生も学んでいくのです。


■■遅刻や無断欠席は厳禁。日本社会で暮らすには、こういう常識以前のことは守るのが当然。遅刻や欠席をしないことは、勉強よりも成績よりも大事なこと

 ●動画 https://youtu.be/3cJEt7Q-nJY

 たまたまですが、私の担当しているクラスの生徒が、ちゃんと欠席連絡を入れてくれた人もいますが、欠席連絡もせずに休んだ子がいました。

 欠席だけでなく、遅刻も同様です。
 たまに、いつも1、2分遅れて入る子が、クラスによってはいるようです。
 こういう子は、社会人になっても遅刻します。

 日本では、遅刻や無断欠席は、信用を失ういちばんの原因です。
 遅刻しそうなときや欠席しそうなときは、どういう方法でもいいので連絡を入れることが当然の責任です。

 ホンダの創業者のひとりである藤沢武夫は、何かの会合で乗り物が遅れ、遅刻しそうになったときに、会場まで走って行ったそうです。
 自分が副社長で、会場にいるのは、みんな自分の部下であるにもかかわらずです。
 これが、普通の行動です。


 こういうことは、親がやることではありません。
 小学校高学年や中学生であれば、自分でパソコンの操作ができるはずですから、本人が、遅刻や欠席の連絡をしなければなりません。
 それを子供に教えていないのは親の責任です。

 こういう遅刻や欠席の生活を続けていると、子供は、厳しい先生にはちゃんと連絡して、厳しくない先生には連絡しなくてもいいという裏表のある人間になります。
 どんな人に対しても、自分なりの基準で行動することが大切です。


 私の個人的な話ですが、昔、言葉の森がビルの3階にあったとき、エレベーターがないので階段で大量の紙を運んでもらうことがありました。
 今は1階なので、そういうことはなくなりましたが。

 私は、配達の人が、重い荷物を3階まで何箱も運ぶのが大変だと思ったので、いつも一緒に荷物を運ぶのを手伝いました。
 「仕事だから、社員が運ぶのは当然だろ」というのは、同じ人間の発想ではありません。
 もし、自分の子供がそういう仕事をしていれば、誰でも必ず手伝うはずです。


 遅刻や欠席の連絡にしても、ある人には連絡するが、ある人には連絡しないということではだめです。
 どんなときでも、自分の基準をもって生きていくことが大事です。

 遅刻や無断欠席をしたことがある人は、この文章を読んで猛省してください。



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