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言葉の森オンライン新聞
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言葉の森新聞2024年12月2週号 通算第1830号 (7775字) 言葉の森事務局(jun) 2024/12/09 14:34:10 17099   0     

言葉の森新聞2024年12月2週号 通算第1830号
文責 中根克明(森川林)


■■これからの学力を考える――冨山和彦さんの「ホワイトカラー消滅」を読んで

●動画 https://youtu.be/cJW1H0_RsYQ

 これからの日本の教育を考えているときに、ちょうど「ホワイトカラー消滅」(冨山和彦著)を読みました。
 この本は、これからの子供たちの教育を考えるお父さん、お母さんの必読書になると言ってもいいと思います。


 私が普段考えていることと一致することが多かったので、改めて、日本の今後の教育について根本から考えてみました。
 ただ、根本からの話は退屈するので、最後の結論というか、現実的な話から始めたいと思います。

 まず、小学校低中学年のころは、漢字の書き取りや計算練習のような役に立つ勉強よりも、子供が熱中する時間を大切にすることです。
 先日、基礎学力クラスの発表の授業で、自分が書いた何枚ものポケモン図鑑の絵を発表してくれた小学1年生の子がいました。
 これは、義務としてやれと言ってもやれるものではなく、好きだから熱中してやれるものです。

 私は、こういう発表を見ると、糸川英夫が子供時代、ベーゴマを強くするために、両親が寝たのを見計らって、溶かした鉛をベーゴマの上に乗せた話を思い出します。
 こういう創造性と自主性が、後年、隼を改良したり、ペンシルロケットを打ち上げたりした創造的な仕事につながっていったのです。


 さて、小学校高学年や中学生の勉強は、家庭学習が基本です。
 学校や塾に行って、他人に教えてもらう勉強は、これからますます補助的なものになります。
 ChatGPTなどのAIを活用すれば、先生に教えてもらう必要がなくなるからです。
 学校や塾は、自分の発表と、友達との交流のために行く場所になります。
 この家庭学習を軌道に乗せやすくするために、今後オンライン自習室を活用する予定です。

 高校生以上は、もう勉強に対する自覚があるので、特に自習室のような枠組みがなくても、自分なりに枠組みを作ってやっていきます。
 勉強の枠組みが必要なのは、中学2年生ぐらいまでです。
 だから、中学2年生までは、家庭学習も、リビングでみんなのいる中でやるようにするのがいいのです。


 言葉の森では、現在、小学123年生向けに基礎学力クラス、小学456年生向けに総合学力クラスを作っています。
 中学生向けには全科学力クラスを作っています。
 これらは、1週目国語、2週目算数数学、3週目英語や暗唱、4週目発表や理科社会という勉強の仕方をします。
 家庭学習を基本にすれば、こういうやり方がいちばん能率のよい勉強法になります。


 今後、本当に大事になる勉強は、作文、読書、創造発表、プログラミング、算数数学になると思います。

 作文や読書や教科の勉強は、日本語という言語をもとにしていますが、プログラミングと算数数学は、プログラミングという言語や算数数学という言語を必要とします。
 だから、プログラミングと算数数学は、独自にやっていく必要があります。

 ただ、今の受験算数数学は、不必要に難しいことをやって、算数数学嫌いの子を生み出しています。
 もっと感動のある算数数学の勉強をやっていくべきだと思います。
 そのために、子供たちが自分で算数数学の問題を作るような時間を増やしていきたいと思います。


 プログラミングの学習は、退屈なコードの勉強が長くなりがちです。
 しかし、ビジュアルなプログラミングから始めても、コードプログラミングに移行するのは、どの子にとっても難しいようです。
 コードプログラミングは、方法の勉強が長く続くだけで、何を作るかといく目的がはっきりしないからです。

 昔のパソコンの黎明期に、プログラミング作りに熱中した子がたくさん生まれたのは、作る喜びという目的があったからです。

 もちろん、今のパソコン教育も、ゲーム作りやロボット作りなど、面白くできることを導入部分にしています。
 しかし、学習の枠が決まっているために自由な創造の余地があまりありません
 自由な創造は、ChatGPTなどのAIを活用すれば、かなりやりやすくなります。
 言葉の森では、今後、HTML、JavaScript、Python、ChatGPTを組み合わせた、目的を先行させたプログラミングの勉強をしていく予定です。


 作文の勉強については、今回、AI森リンで作文の客観的な評価がわかるようになりました。
 客観的な評価がわかるということは、努力の方向や進歩の方向がわかるということです。
 これからの子供たちの作文の勉強は、AI森リンの活用によってこれまで以上に進歩しやすくなると思います。


 ただし、作文力の土台は読書力です。

 読書についても、客観的な指標が必要なので、今後AIを利用した難読検定を行っていく予定です。
 当面、今できることは、少なくとも中学生以上の生徒は、物語文以外に説明文意見文の本を毎週必ず読んでいくことです。
 読書力は、作文力の土台であるとともに、思考力の土台なので、読書に力を入れていると学力全体が向上します。
 ただし、その際の本は難しい説明文や意見文の本である必要があります。


 未来の勉強の中で重要な役割を果たすのが、創造発表とプログラミングです。
 この二つの勉強は、ChatGPTなどのAIと連携する必要があります。

 創造発表は、発表という目的ばかりでなく、発表する方法を学んでいく勉強になります。
 逆に、プログラミングは、プログラミングという方法を学ぶだけでなく、何を作りたいかという目的をもとにした勉強になります。
 すると、将来的に、創造発表とプログラミングは、同じ勉強の二つの面のようになります。
 どちらも、AIの活用ということがキーワードになります。

 家庭では、子供たちが自由にChatGPTを使える環境を早めに作っておくといいと思います。


■■これからの学力を考える――冨山和彦さんの「ホワイトカラー消滅」を読んで(その2)

●動画 https://youtu.be/jqJQdFpjgs0

 具体的な話を先に書いたので、次は、根本的な話を書きます。

 私の大きな目的は、日本を守り発展させることです。
 そのために何をしたらいいかをずっと考えていました。

 翻って、今の世の中の流れを見ると、大きく、工業と消費の時代から、文化と創造の時代に移り変わる前夜だということがわかります。

 文化とは何かと言えば、ひとつは、1万年以上も争いがなく自然と共存して暮らしていた縄文時代の文化です。
 もうひとつは、庶民が和歌を詠み、女性が活躍していた奈良平安時代の文化です。
 さらに、もうひとつは、長い平和が続き、多様な文化が生まれた江戸時代の文化です。

 こういう文化が、これからのAI(人工知能)とロボットとオンラインとフリーエネルギーとベーシックインカムの時代に、新しく花開くのです。

 そのひとつの先駆けとして、私は「さかなクン」の生き方を思い浮かべます。

 さかなクンは、赤ちゃんのころは絵をかくことに夢中になり、トラックが大好きになり、小学生になってからはタコや魚に夢中になり、中学生になってからは、吹奏を水槽と勘違いして入った吹奏楽部で管楽器に夢中になり、今は、東京海洋大学客員教授、東京海洋大学名誉博士、日本魚類学会代議員、農林水産省お魚大使など多くの役職を持ち、2010年には絶滅とされていたクニマスの生息確認に貢献し、内閣総理大臣賞を受賞しました。

 そのさかなクンは、こう書いています。
「ずっと夢中が続いてハッピー」


 新しい日本の文化の出発点は、子供たちの教育です。
 思考力と創造力と共感力のある子供たちが数多く育ち、その子供たちが未来の日本文化を支えるようになるのです。

 これまで日本は、工業製品を輸出していました。
 これからの日本は、ネットワークの力を借りて、文化を輸出するようになります。
 世界中に、日本の縄文時代、奈良平安時代、江戸時代の文化が広がるようになるのです。

 今の世界の文化は、多くが競争と勝敗の文化にいろどられています。
 何センチとか何秒とかの差で、勝ったとか負けたとかいうことが話題になる社会です。
 そして、多くの人がその話題を消費することに意味を見出しています。

 そのマスメディア的な消費の世界から、一人ひとりの創造の世界に移るのが、これからの時代です。


 現代の教育は、競争の世界で形作られています。
 競争に勝つことや限られた枠を奪い合うことが、教育の大きな目標になっています。
 そのために、学校や塾では、子供たちに、大事なことを教えるよりも、差がつく問題を間違えないように教えることに力をいれています。
 それらの多くが、あとからふりかえれば、意味のない重箱の隅なのです。


 教育が、思考力、創造力、共感力を育てるものになることが、これからの日本を復活させる第一歩になります。
 私は、そう考えて、言葉の森の仕事をしたいと思っています。


■■これからの学力を考える――冨山和彦さんの「ホワイトカラー消滅」を読んで(その3)

●動画 https://youtu.be/3BhrqnGx9K4

 具体的な話と根本的な話を書いたので、今回はその中間の話です。

 子供たちの新しい教育を支えるのは、先生です。

 AIとオンラインの仕組みは、教育の環境として大きな役割を果たしますが、基本的に、人間は人間によって育ちます。

 ところが、今、学校や塾で行われている教育では、先生は、限られた短期間しか子供たちを担当しません。
 普通は1年か2年の担当期間です。

 そして、その担当期間の目標は、子供たちの成績を上げること、あるいは子供たちが問題なく学校や塾での生活を過ごすことです。

 江戸時代の寺子屋教育は、先生が子供たちの一生の成長に関心を持つ教育でした。
 先生は、勉強だけでなく、子供たちの生き方に関心を持っていたのです。
 その証が、寺子屋時代の子供たちが先生をしのび作った筆塚が今も各地に残っていることです。

 先生と生徒の関係が意味を持つためには、先生が一生子供たちに関心を持ち、子供たちが一生先生を慕うような教育を取り戻す必要があります。

 そのために、大事なことは、先生の給与です。
 子供たちの保護者から受け取る受講料だけでは、十分な給与を確保することができません。
 先生という仕事は、もっと高額の給与を受け取るべきです。

 だから、教育機関が、生徒からの受講料以外の収入を作り出す必要があります。
 それが、例えば、言葉の森では、AI森リンの販売で収益を上げることです。

 言葉の森以外の教育機関でも、新しい創造を行うことによって、それを教育を担う先生に還元する必要があります。

 更に言えば、日本全体での創造的な教育が、日本全体の創造的な発明や発見を生み出し、日本全体を豊かにする必要があります。

 創造教育が創造文化を生み出し、それが教育に還元されるというサイクルを作ることが日本の教育と文化の目指す未来の方向なのです。


※これまでの記事で、タイトルに入れた冨山和彦さんの話自体は書きませんでしたが、内容的には多くのことを参考にさせていただきました。
 多くの方が、「ホワイトカラー消滅」の本を読まれるといいと思います。


■■10月の森リン大賞

 10月の森リン大賞のページができました。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2024&tuki=10

 どの作品も力作でした。
 森リン大賞の中での代表作品を2編紹介します。

●手縫いの良さとは
小5 ももんが

 皆さんは手縫いをしたことがあるだろうか。あった人は分かると思う。最初は良く分からなくてむしゃくしゃしたが、だんだん慣れてきて、歳を重ねるごとに得意になっていく。しかし、ミシンはどうだろうか。ミシンは、練習して慣れさえすれば、どんな人も出来る。しかも、その人ならではの個性や上達というものが感じられないと思う。手縫いに関しては、色々な解説動画や画像がSNSに上がっているが、ミシン縫いの解説動画や画像は余り上がってない。この二つの違いは「上達」が鍵になっているだろう。

 最近の美術品をみるとどこも銘が書き入れられている。それは、どんなつまらない作品でも何某の作品であるという印である。私の母に何度かバックを作ってもらったことがあるが、作者の名前など微塵かいていない。それは恐らく、美術者と違い世界に名を残したいのではなく、私に喜んでもらえるためのものや、実用性があるものを作っているためだろう。実際、私が好きなキャラクターや好きな色などをバッグの模様に入れることが多い。母親は、そういう小さいことでも子供に気を配っているのだろう。母に作ってもらってばかりではなく、私も何度か姉に教えられながら巾着を作ったことがある。しかし、途中でだんねんしてしまい今でも完成していない。しかも、手縫いではなくミシンという「機械」で作ったのに開始一週間くらいでやめてしまった。手縫いも面倒くさいとは思うがミシンもなかなかに難しかった。まずミシンは、最初のセッティングが難しい。それに、糸案内板など色々な機械の名前もあって頭の中がこんがらがってしまう。姉に、
「ほらそこ針穴に糸を通して。」
とか言われるたびに、私の頭がフリーズして固まってしまい、一行に作業が進まない。正直自分が面倒くさいと思っていたときもあったが、これでも頑張った方だと思う。しかし、姉がバックやらなにやら作っている様子をみると、楽々音楽を聴きながらやっているのだ。「機械」でさえ使えない私が虚しくなってくる。私の姉の違いは何なのだろうか。

 今まで散々面倒くさいなど悪口を言われていた手縫いだが、逆にいいことはなんだろうか。それは、まず準備が少ないことだろう。手縫いは、針と布を準備すればすぐ始められる。他にも、ミシンが縫うことができないボタンなど細かいことや仕上げにはもってこいかもしれない。戦時中も、手縫いで服やバックを作り売り続けた有名な会社がある。それは、シャネルという高級ブランド店だ。そのころは、今よりずっと昔のことだったから、機械など量産しやすいものはなかったはずだ。そのため、シャネルの創設者であるココ・シャネルという方は最初を手縫いから始めたに違いない。こうしてみると、手縫いというものは凄いものだと分かるだろう。

 まずまず、手縫いというものがあったからこそ、機械が生まれたのだし、機械は人間がやっていることを早くしたものと同じだ。だからこそ、ボーっとしているといつのまにか縫ってはいけないところを縫ってしまったなどと大変なこともある。うちの姉も、仕上げなどは手縫いでやるし、やはり手縫いは便利でなくしてはいけないものなのかもしれない。やはり餅は餅屋でということだろう。この文を読んでいる皆さんも手縫いを日常で使って、手縫いの良さというものを実感してみてはいかがだろか。

★身近な体験実例を、手縫いと機械縫いという大きなテーマに結びつけて書いています。高学年らしい書き方です。読みやすくするために、段落ごとに改行して表示しています。


●忙しいハチ
中3 あえにな

 最近、リスが巣ごもりの準備に勤しんでいる。木の葉が色づき、今までは朝早くに会えた太陽もなかなか顔を見せてくれない。つまるところ、北の国カナダでは短い夏が終わり、永遠とも思えるような冬が刻一刻と近づいてきているのである。このように、私は四季を愛でる余裕がある暮らしをしたいと考える。

 そのための第一の方法は、常に周りを見渡すことだ。確かに、急いでいたり余裕がなかったりすると、周りの些細な変化には気を配ることができないだろう。眼の前のことで精一杯になり四季云々を感じている場合ではないと思うかもしれない。しかし、時間に余裕を持ち心を落ち着かせると、見える景色が全く異なるものになる。具体的には、空中で風に舞う木の葉を見つけ、微かな鳥のさえずりが聞こえ、さらには肌をかすめる少し冷たくなった風を感じる事ができるのだ。そのため、私は毎朝時間に余裕を持って家を出発し、登校中は常に周りをキョロキョロとしている。例えば、今日はどんぐりを集めているリスがたくさんいるな、風向きが変わってきたな、太陽の登る時間が遅くなったな、などである。このように、私は毎日の些細な四季の変化に気がつくためには自身の余裕が必要であると考える。なぜならば、あまりにもスピードや効率を追い求めて心身の余裕がないと、身の回りの些細な変化に目がいかないからだ。つまり私が目指す季節感のある暮らしとは、余裕を持って周りを見渡すことで生まれるのである。

 第二の方法として、あえて不便な環境に赴く、ということが挙げられる。明治時代を生きた日本の小説家・詩人である国木田独歩の作品、「武蔵野」では、人間の手が入っていない林の美しさについて述べられている。この小説は、「武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。」という一節から始まる。「春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処ずいしょに吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。」つまり、林や野原が不規則に入り乱れている武蔵野を散歩するためには、心身ともに余裕がある必要がある、ということだ。なぜならば、大体の人は道も知らぬ、どこかもわからぬ場所で四季感を楽しむ余裕を持ち合わせていないからだ。きっと必死に携帯や地図を見ながらここはどこか、この道であっているか、などと焦り、恐れ、不安になるに違いない。このように、不便だということは、裏を返せば人間の手が届いていない、整備されていない場所である。つまり私は、一見不便な路をぶらぶらと当てもなく歩く時、心に余裕を持ち自然の営みを体感できるのだと考える。だから、私はあえて人間の手が届いていないような環境に足を運ぶことで、四季を愛でる余裕のある暮らしをしたい。

 確かに、科学の発達は、人間に快適な環境をもたらした。土地が開拓され、インフラが整備され、便利な世の中になったと言えるだろう。一方で、人間自身の心はどんどんと貧弱になっている。『忙しいハチは悲しむ余裕を持たない』というW・フレークの言葉がある通り、眼の前のことに精一杯で周りを見渡す余裕・四季を感じる余裕がないほど現代人は忙しない。だからこそ、季節を愛でる余裕を身につけることはとても大切なのではないか。この「余裕」は、全てに効率化・スピード化を求める現代社会においてはとても貴重だ。かくして、かつては当たり前だった、身の回りのものを愛でる余裕を持つことが今、重要視されているのだと私は考える。

★意見文でありながら、事実の描写力のある優れた作品になっています。国木田独歩の引用が、題材の幅を広げています。読みやすくするために、段落ごとに改行して表示しました。



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