元の記事:無題 (717字)
ゆうと aetoku 2025/02/02 20:34:49 44105
1 
イスラエルで「全員一致の裁決は採用しない」と聞き、その背景に興味を抱く。この考え方はユダヤ教の習慣とも関連し、全員一致は必ずしも理想的ではないというパラドックスが存在する。全員一致が示すのは、熟慮不足や反対意見の抑圧、または不透明な根回しの可能性である。重要な案件であれば、自然に異論が生じるはずで、異論が全くないことはむしろ不自然といえる。たとえば相撲協会の決定が全員一致で進むことに対しても疑念が生じるのは、異論を表明しにくい空気が影響している可能性があるからだ。また、討論会で簡単に「イエス」や「ノー」と答えられないのは、意見の確信度や複雑さに起因する。判断はしばしば僅差で揺れ動き、簡単な二択では表現しきれない。このように考えると、「全員一致は採用しない」という発想は、決断の質を高めるための重要な視点となる。
確かに、多数決で物事を決めることは大切だ。誰か1人の意見で決めてしまったらその人だけが有利になってしまい、他の人が不利になってしまうからだ。僕が学校で議論しているときに最終的に多数決で決めることになった。多数決にするとみんなが喧嘩することなく意見がまとまった。また、時間をかけずに議論を終えることができた。
しかし、全員一致になるまで話し合うことも大切だ。昔話の桃太郎でも桃太郎と家来たちが全員一致で鬼征伐に向かったからこそ力をあわせて鬼を退治することができたのだ。みんなの意見が一致するまで話し合うことで誰も損をしなくて済む。
確かに、多数決にも全員一致まで話し合うこともどちらにも良さがある。しかし、「議会の目的は、議論を殴り合いの代用品にすることである。」という名言もあるように一番大切なのは話し合いの過程である。