元の記事:たしかブレーズ・パスカル (855字)
こうき akoua 2025/03/05 19:42:20 45539
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第一段落
たしかブリーズ・パスカルだったと思いますが、次のようなことを申しました。「疾患はキリスト教徒の自然の状態である」と。つまりいつまでも自分のどこかが具合が悪いどこかが痛むこと、言い換えれば割り切れない存在である人間が、己の有限性を染々とかんじ、「現在」の意識に悩んで痛みを感じているのが、キリスト教徒の自然の姿だと申すわけなのでしょう。人間はとにかく「天使になろうとして豚になる」存在であり、うっかりしていると、ライオンや蛇などに似た行動をする存在であることを自覚した者の憤然とした鎮痛な述懐にもなるかもしれません。天使に憧れる必要はないとか、「狂気」を祐逸の倫理にせよとかいう結論では決してありますまい。逆に豚になるかもしれないから、気をつけて慣れないことは判っていても天使に憧れ、「狂気」を常に監視して生きねばならぬという結論は出て来ても良いと思います。だから、私は人間には狂気というものが必要だと思う。
第二段落
・狂気と呼べるほどの集中力がないと世紀の大発見や物事を成し遂げることができないからだ。
・例えば、発明家や発掘家は長い年月をかけて苦労をして世紀の大発見をしている。また、実際に私も、授業のレポートを作成する時間で授業の時間が短く感じられるほどの「狂気」と呼べるの集中力を保てたことがあった。その時は、国語の授業で友達と話しながらワークシートを書くよりも完璧に近いレポートができた。
第三段落
・第二の理由は平凡な毎日では退屈してしまうからだ。
・男性のストレス解消法に、「趣味や作業、創作に没頭する」というものがあった。「狂気」と呼べるくらい趣味などに没頭することでストレスを解消できるし、普段とは知gすことをすることで、リフレッシュすることもできるのだ。
第四段落
・確かに本能に従って作業に没頭しすぎるのも良くない。物事を冷静に判断することが大事な時もあるだろう。しかし、「行動するには、多くのことを無知でなければならない。」という言葉もあるように、何かを成し遂げるためには狂気も必要だと思う。