これまでの全記事
創造の喜びを教育の中に  2016年9月16日  No.2672
ホームページの記事は→2672


 勉強というと、何かいろいろなことを教えられて、それをしっかり覚えておき、聞かれたら正しく答えられるようになることが目標のように考えられがちですが、本来はそういうものではありません。

 既に答えのわかっていることを、その答え方を身につけるために学ぶことは、教育の準備であって、それが教育の目標なのではありません。

 目標は、それらのいろいろな知識の土台の上に、自分なりの創造、発明や発見や発表をすることで、それこそが人間がもともと持っている喜びに根ざした教育になります。
 勉強ができるようになることは、そういう喜びのための準備であって、本当の喜びはその先の創造にあるのです。

 2020年から小学生のプログラミング教育が必修になりますが、これも、子供たちが自分で創意工夫して自分で何かを作ることを早めの目標にする必要があります。

 プログラミングを覚えること自体が勉強のようになり、その知識を覚えたかどうかで○×をつけられるようになると、ここでもまたできない子をどうするかという不毛な問題が出てきます。

 子供たちの遊びで、その遊びができない子をできるようにするという問題はほとんどありません。できない子も参加できるように、遊びの方を柔軟に工夫できるからです。

 教育だけは、そういう柔軟性がなく、かたくなに正解というゴールの一本道に子供を追い込もうとしているように見えます。
 本当は、正解はたくさんあって、誰でもその正解に行けるように工夫していくことできるのです。
 遠い正解も、近い正解もあり、誰もが自分の興味と関心に応じて、自分なりの正解に行けるようにするのが教育の工夫するところなのです。

233-0015 横浜市港南区日限山4-4-9言葉の森オンラインスクール 電話045-353-9061
 
 同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。
プログラミング教育(5) 教育論文化論(255) 発表交流会(20) 

 コメント欄

森川林 20160916 1 
 中学生たちの夏休み明けのテストの結果を聞いて、中学の教育が何かおかしいような気がしました。
 もしかしたら、先生たちは、生徒に点数の差をつけることを目的にしてテストをしているのではないかと思ったのです。


nane 20160916 1 
 勉強ができる子とできない子に分かれるのは、評価そのものが目的になっているからです。
 本当は、誰もが自分の興味と関心と適性に応じて自分なりにできるようになり、それを生活や遊びや創造に生かしていくものなのです。
 教育は、点数の差をつけることを目的にするのではなく、誰もができるようになることを目的にすべきだと思います。

コメントフォーム

創造の喜びを教育の中に 森川林 20160916 に対するコメント

▽コメントはここにお書きください。 お名前(ペンネーム):

 フォームに直接書くよりも、別に書いたものをコピーする方が便利です。



受講案内の郵送(無料)をご希望の方は、こちらをごらんください。
(広告規定に基づく表示:受講案内の郵送を希望される方はご住所お名前などの送信が必要です)

電話通信の無料体験学習をご希望の方は、こちらをごらんください。
(無料体験学習をお申し込みの方に、勉強に役立つ小冊子をお送りします。)

Online作文教室 言葉の森 「特定商取引に関する法律」に基づく表示」 「プライバシーポリシー」