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私の心、あなたの心
アジサイ の広場
馬のしっぽ はり 中3
 今の世の中はお金や外見といった、外見重視の世の中だ。お金がなければ何
も得ることができないし、外見が良くなければ誰からも相手にされない。また
、大きな企業は学歴の優れた人材を揃えようと必死だ。また、世間から「名門」
・「一流学校」といわれる学校も、学習能力の優れた生徒を多く求めている。芸
能人はスタイルが良く顔がいい人ほど、周りからちやほやされ、おだてられる
。しかし、本当にこれで良いのだろうか。人間にとって本当に大切なものとは
、学歴でもなく、有り余るお金の所有でもなく、スタイルでも顔の出来でもな
いのではないか。私は中身を重要視した人間になりたい。
 
 では、本当に大切なものとは何か、それはどんな人間も必ずもっている「心」
である。なぜこのように思うのか、それには具体的な理由があるのだ。
 
 第一に、人間が人間を好きになったり、尊敬したり、嫌いになったりと、そ
の人間に対して感情をもつとき、私たちはその人たちのもっている「心」のあり
方でその人を嫌いと思ったり好きだと思ったりする。「素晴らしい人だ」「尊敬
できる人だ」と感じるときも、顔や容姿ではなく、その人の中身の部分を見て
感じることができる。どんなに厳しくてもその中に優しさがあれば、その人を
素晴らしいと尊敬するし、人間として好きになる。女が男を好きになるとき、
最初は顔や背の高さ、スタイルの良さでその人に対して第一印象というものを
もつが、後にその「男」の内面的な部分を知っていくことによって、その人に対
して「恋」という感情を抱いたりするものではないだろうか。
 
 そして第二に、最近やっと騒がれるようになった子供たちの学力低下をはじ
めとした日本人の学力に対することである。表に出てきたのは去年くらいから
だと思うが、最近の子供は学力が低下していると新聞やテレビで取り上げられ
る。これは大学や学校側にも責任があると思うがそれは置いておこう。最近騒
がれている「学力低下」とは、知っていると思うが子供たちの「心の豊かさ」なら
ぬ「貧しさ」のことである。つまり、考える力が衰えているということだ。子供
に一流の学校に通わすために幼稚園から一流の所に入れ、塾に行かせて良い成
績を収めさせる、こんな親が世の中にはあらゆる所にあふれている。塾に行け
ばわからない問題も自分で考える前に先生が授業で取り上げ教えてくれる。テ
レビゲームが流行し出し、子供たちは外に出て遊ぶことをやめ、新しく続々と
出されるゲームを使って暇な時間を過ごしている。公園や近くの広場に行って
、自分たちで何かを見つけ、その「何か」をどのような形で利用して遊ぼうかと
考えることが少なくなっている。子供の頃に培われた感受性や価値観というも
のは年を取れば採るほど自分の土台となるものだ。それを、社会は子供たちが
もっている柔軟な感情を無理矢理コンクリート詰めにするような形で硬いもの
にしてしまっていたのだ。そして、そのことに気が付いた大人たちは、徐々に
大学の入試問題を「心」の試験のような形で行う所が段々出てきている。そして
、企業においてもその人の学歴を重要視するのではなく、その人の「心の豊か
さ」を見て採用するという会社も出てきている。
 
 確かに、人間が人間を見るとき、最初から中身を知ることなんて超能力者で
もない限りできることではないから、どうしてもその人の顔やスタイル、成績
の良い悪いで第一印象を作り出しその人の価値を判断してしまう。それは、私
もしてしまうことだし、仕方がないことだと思う。しかし、どんなものも最後
に価値が決まる決定的なものとは、そのものの中身の充実さだ。どんなにかっ
こいい人でも中身が悪ければ嫌われるし、どんなに今時の歌があっても、最後
はそこで歌われる歌詞がセールスを伸ばし、国民に支持される。反対に、どん
なに単純なものでも中身が充実したものであればそれらを「いいもの」と感じる
。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」という名言がある
。「優れた人」といわれる人々は、お金や地位と言った外見的なものではなく、
優しさや強さといった中身が優れている人たちであり、「優れたもの」と呼ばれ
るものは、外見ではなく中身が優れているもののことではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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