| 歴史書が |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| 希美 | / | あたち | 高2 |
| 歴史書がその時代の生きた人間活動を読者のまえに現象化するだけの力をも |
| たなかったならば、それは死んだ歴史叙述です。日本では残念ながらこうした |
| 歴史叙述がはなはだしくない。なぜそうなのか。それは、歴史家が自分の目に |
| まえにいる |
| 人間を見張る眼が貧しくひからびているという結果ではないか。歴史を学ぶ |
| ということは人間を絶えず再発見してゆくことにはほかならない。社会科学自 |
| 体の研究の目標もそこいある。 |
| 日常生活の中でたえず自分の学問をためしてゆくことによって、学問がそれ |
| だけ豊かに立体的になり、逆にまた自分の生活と行動とが原理的な一貫性もっ |
| てくるでしょう。 |
| 私たちが「勉強」という言葉を聞くとまず知識を覚えること、点数を取るな |
| どということが浮かんでくるのではないだろうか。しかし、それは表面的なこ |
| とだけで |
| はないだろうか。かりにテストで良い点数を取ったとしても、その覚えたこ |
| とは記憶として残っているのだろうか。よく生徒が教師に向かって言うことが |
| ある。「こんなことを覚えて将来に意味があるの。」このことが良い例だ。わ |
| たしたちは、いつのまにかこんな勉強方法を身に付けていたのだ。 |
| あるテレビ番組でやっていたが、外国ではひとつひとつの事について生徒同 |
| 士が話し合い意見を |
| (続きは自宅で、ということでした。森川林) |