本当の自分 |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
AE86 | / | えや | 中3 |
私の英語力はほとんど中学三年間の教育に依拠している。高校時代に覚えた |
難しい単語は記憶のかなたへ霧散してしまったし、大学時代の英語教育は無き |
に等しかった。現在小説を読むリーディングの授業は他力本願で何も身に付か |
なかった。一番ひどかったのがアメリカ人講師による会話のクラスだ。これに |
はどうしても馴染むことができなかった。その主な理由は、講師の「笑顔」に |
あった。 |
それから十年以上経った昨夏、女子大生の言語研修に同行してアイオワ州の |
ある大学へ行った。ある時、私は見てしまったのだ。今までニコヤカに笑顔を |
振りまいていた教授が、一人になった途端、考え深げな、どことなく徒労感の |
漂う表情に戻るのを。彼らは実に意識的な人々だった。その厳しい現実の一つ |
がきっと理解不可能な他者の存在なのだろう。ここにいたって、その昔、苦手 |
だった英会話のクラスで何が起こっていたのか、私はようやく理解した気がす |
るのだ。アメリカ人はあんなに毎日一生懸命生きていて疲れないのだろうか。 |
最近は自分の意志を持たない人が多すぎる。以前テレビでこんなコトを見た |
。「ファミレスに入ったが何を頼んで良いか分からず、結局人と同じ物を頼ん |
でしまう。」これこそ正に意志を持たない人の象徴(?)である。少なくとも |
私は自分の意志をハッキリ持っている。しかし、あまりに強すぎる意志は友達 |
に嫌われるので注意しよう。あくまでも「程々に」だ。それともう一つ、本当 |
の自分をさらけ出さない人も多すぎる。要約にも書いてあるように、いつもニ |
コニコしていたりして、本当の感情が分からない人も多い。確かに、人に良い |
印象を与えるために常に笑顔でいるのは大切だと思う。しかし、本性を見せな |
いのも恐い気がする。これも分かりやすければそれに超したことがないが、見 |
せすぎるのもねぇ? |
私は明日、私立高校の面接がある。確かに人間は外見よりも中身が大切だが |
、面接の会場に、穴の空いたGパンにヨレヨレのTシャツを着て「さぁ、なん |
でも聞きたまえ、ハハハ...」と言って入っていく人はまずいないだろう。 |
確かに、大切なのは中身ですが、入れ物がしっかりしていないと、中身まで見 |
る前に終わってしまいます。あくまでもこれは社会のルールなのです。 |