心を動かす |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
裕子 | / | にこ | 大4 |
最近ビデオショップに行くとよく“サスペンス”、“コメディー”とならんで |
“感動もの”ビデオのコーナーがある。ランキング形式で棚に置かれた耳にし |
たことのある数々の映画。週末には貸し出し中の札がずらっと並ぶ。実際、特 |
に若い人には現実世界では涙を流すこともなく淡々と生きているのに、一人家 |
で感動ものビデオを借りてきては |
シクシク泣く人が多いという。感動もビデオショップでレンタルして手軽に手 |
に入れてしまう、現代社会の悲しい一面だと思う。しかし、ビデオの件だけで |
なく私たちはこの現代において涙を流すほど心を動かすことが少なくなってき |
その原因は、現代社会に生きる私たちが“存在”そのものと向き合う機会が |
少なくなっていることにあると思う。私たちの周りには本当はもっと驚くべき |
もの、すばらしいものが現実として存在しているのにいつのまにかそれを当た |
り前にしてしまっている。現代社会はめまぐるしく、私たちを取り囲む物質は |
山のようにある。だから一つ一つのことと真剣に向き合うことが出来ず、いつ |
も合理的な事ばかり選んでしまっている。小学校の理科の時間、植物のしくみ |
について習った。ジャガイモをつかっての授業で芽や根っこの成長について詳 |
しく教わった。教室の後ろの方でガラス容器に入れられたジャガイモは順調に |
育っていたけれど植物が成長することに対しての驚きや感動はあまりなかった |
。これが何の予備知識もなく、どこかの畑でジャガイモの成長と遭遇していた |
のだったら違ったのかもしれないと思う。 |
では私たち現代社会においてもっと感動を得る為にはどうしたらよいだろう |
か。私は、もっと体験を大切にしていくことが必要だと思う。世の中に在るも |
のに直接ふれる機会を持つことが大切だと思う。その為には時間を惜しまず、 |
また合理性ばかり追求してはいけないと思う。時間をかけても、無駄と思える |
ことでも体験によって得た衝撃はずっと残るのだと思う。私は昨年就職活動で |
よく新幹線を利用していたのだが、その新幹線の中で本当に美しい富士山を見 |
た。日々の疲れから新幹線の中では少しでも多く眠ろうとしていたのだが、た |
またま車内のアナウンスの声に窓の外を見て私は感動した。うすいブルーの空 |
に広がった富士は私にとって富士ではなく何か自分を励ましている様な大きな |
存在に感じた。他人から見れば何てことないただの風景がその時の私にとって |
ものすごく大切なもののように思えた。 |
心は判断や理解するためだけのものでない。外の世界に触れることで潤った |
り、喜びを感じたり様々な色をぬることが出来る。だから、人間として豊な気 |
持ちで生きていく為に少しでも多く心を動かすような体験をすべきだと思う。 |
私も、レンタルする事の出来ないそんな感動を探していこうと思う。自分の心 |
にたくさんの色がぬれるように。 |
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□先生へ |
体験実例が今一つ思いつかなかったのでこんな説得力のないことしか書けませ |