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どこかへ旅行がしてみたくなる
アジサイ の広場
さやか あおべ 高1
 
 
 
 旅をするときに旅行案内記を見ることは最も安全な方法であって、大きな失
望やとんでもない違算を生ずる心配がない。しかし、自分の目で見て自分の足
で踏んで、大地と自分とが直接にぴったりと触れ合う時にのみ感じ得られる鋭
い感覚を味わわなければ何にもならないという人がある。こういう人はいかな
る案内記にも書いていないいいものを掘り出す機会がある。
 
 私が家族で旅行するときは必ずその地方のガイドを持っていく。そのガイド
の中は、良い温泉がある宿だったり、おいしいお店だったり、奇麗な観光名所
であったりする。せっかくその土地に行くのにわざわざ東京でも食べられる店
に入ったり、普通の御風呂に入るなんて、来た意味がないと思う。しかし、そ
の代わりにガイド以外のものを見逃しているのだ。一回こんな事があった。函
館の市場に行ったときになにげなく入ったお店の海鮮丼がものすごくおいしか
ったのだ。もしかしたらガイドにのっているかもしれないけれど、私たちとし
ては、知らずに入った店がおいしかったという事はとても心に残るものがあっ
た。このように、ガイドや人から聞いたものでないことを発見する事は自分に
とってとても心に残るものとなり、偶然の連続で気の向くままの旅の良いとこ
ろである。
 
 また、私は一度でいいから「寅さん」のような一人旅をしてみたいなあと思
う。なぜかというと、いろんなトラブルがあるけれど、それは自分にしか体験
できないそして、たった一度しか経験できない事だからである。これが、ガイ
ドに従っていけば、誰でも大体は同じようなものを見、食べることになるのだ
。つまり、ガイド通りの旅行というものには自分らしさがないのだ。
 
 せっかく行くのだから、その土地のいいものを見、食べたりする事は、旅行
を満足にさせる為の一つの手段であり、大体の人はそうするであろう。しかし
、毎回とは言わなくとも自分流の旅というのは、人生の中で必要なものである
。「人が旅行するのは、到着するためではなく旅行するためである。」という
言葉がある。観光名所に着いてそこを見る事だけが旅行ではない。その道のり
の中で起こる沢山のことを体験する事も旅行の意味の一つであるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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