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規則を破っちゃイカン!!!
アジサイ の広場
AE86 えや 高1
 今日では、道徳的共同体をつぶしてきた法的社会が普通の社会となり、国家
となっている。しかし、今日、共同体が完全につぶされた訳ではない。豪族な
ど大きな共同体は既につぶされてしまっているが、依然として最小単位共同体
の家族は残っている共同体の本質は感覚であるから、理屈、理論すなわち知よ
りも情が尊ばれる。晩年、おそらく六十代も半ばを越えたころ、孔子は偽政者
としての地位を求めて、諸国を流浪していた。
 
 しかし、前述のように、孔子の頃は、まだ各種共同体が現実に機能していた
時代である。だからたとえば共同体の有力者が明らかに罪を犯し、裁かれると
き、その有力者の犯罪の証言を拒否する部下は、法優先の公の立場からは指摘
されても、同じ共同体メンバーの立場からは逆に賞賛を受けることであろう。
このように、法的社会が形成されて以後、共同体との関係というやっかいな問
題を人間は抱え込んできて今日に至っており、いまなおその解決方法に苦しん
でいるのである。
 
 一九四六年(当たってる?)に日本国憲法が公布された。大日本帝国憲法か
らの主な変更として真っ先に思い浮かぶのが「天皇主権から国民主権に変わっ
たコト」だろう。その他にも、国民の義務が兵役、納税から、兵役が無くなり
、「子供に教育を受けさせる義務」というものが追加された。それにしては最
近の子供は(自分も?)不良ちゃん(これは自分では無い)が多い気がする。
 
 今の世の中では「規則を守る」ということすら難しいものになってしまった
。なぜならば、「規則を守らない人」があまりに多すぎるからだ。現に、うち
の学校では規則というものを守らなくても軽いものならば注意されなくなって
きた。例えば、ポータブルMDや携帯電話(PHS)などの持ち込みは昔は注
意されていたが、最近ではあまり注意されないのだ。実際、MDは授業中に聞
かない、携帯は授業中に鳴らなければ注意などされないのだ。そういった現象
から、休み時間になれば先生が居ても着メロを流し、MDを聞くという行動が
多くなってきた。私は今、携帯電話が欲しくてたまらない(着メロはサザンの
TSUNAMIがいいな)。しかし、買ったとしても学校に持って行って鳴ら
そうとは思わない。
 
 最近は「規則を破るコト」がカッコイイという傾向のようだが、私にしてみ
ればトンデモナイことだ。確かに最近は二十歳に成っていないのにタバコを吹
かしているのを目にする。確かに悪いコトだが、私はその人たちの行動を否定
しない。むしろ、そのような行動が当たり前となってしまった社会を否定する
 
 (最近という言葉が多くなったような...?)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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