先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
のほほんのほほん☆( ^-^)_旦
アジサイ の広場
がっちゃん てな 高1
 
 
 
 道徳的共同社会は、自分の身内や大切な知り合いが悪い事をしても「かわい
そうだ」とか「本当はいい人だから」という同情をして告げ口しない社会よう
な社会である。例えば、父は子のために犯罪を隠し、子は父のために犯罪を隠
すという行為のようだ。これは、法に反してはいるが人への思いやりでそうい
う事をしている。しかし、法的社会と言うのは、どんな小さな悪事だろうが、
自分のどんなに大切な人だろうが、犯罪は犯罪。ちゃんとした法廷で裁くとい
う社会である。これの例えは、さきほど述べた道徳的共同社会の例えとまった
く逆で、父が悪い事をしたら子はそれをすぐに報告し、子が悪い事をしたら父
もすぐに報告するという社会である。私は、どちらかと言うと法的社会の方に
賛成したい。
 
 そのための方法には、まず正直でなくてはならない。確かに、人の極秘なこ
とをバラしたりしては困るが、何を言っても嘘をつかないで素直に言葉に出せ
ることが必要だ。私は昔、ムカツいてムカツいてしょうがなかったEさんの靴
箱のなかに、自分の枝毛と鼻水をかんだティッシュを入れたことがあった。す
ると、誰にも見られないでやったつもりだったのが、なぜだか次の日先生に呼
び出されて相談室に連れて行かれるハメになった。誰かが告げ口したのだ。私
はその日、先生にぎっちり20分間絞られたが、それから枝毛と鼻水入りのテ
ィッシュは人の靴箱に入れない様になった。あの時誰かがちくってくれたから
だ。
 
 もう一つの方法は、法を守るように努めることだ。憲法や法律、条例という
ものは守るためにある。ただ読んで習うわけではない。だから、憲法は国民が
良く知っていなければならないので中学校3年生の社会で勉強する。もしも、
孔子の言うように情を入れて、犯罪を見ても目をつぶるのであれば、人間は、
ちょっと見られても言わないでくれるだろうとか、まさか自分の息子は自分の
犯した罪を警察に言ったりしないだろう、と考えてしまい結局世の中から犯罪
はなくならない。法を守っていれば犯罪はなくなるはずなのだ。
 
 しかし、人間は地位や名誉、お金に目が眩んでしまい、わいろを貰って悪事
を働いてしまう。結局、今述べたことは全て理想であり、いつになれば実現す
るのか全くわからない。情があるから人間なのであって、それがなければ人間
ではないのだ。
 
 最近、警察の不祥事が多発している。これも、法的社会よりも道徳的共同社
会が進んでいるからなのだろうか。法的社会を作るというのは、これからの日
本の目標であると思う。いけないことはいけないと認めても、広い心で物事を
受け入れて行かなければならないと思う。「人間は地球上で考えることができ
る唯一の生き物である」というのを昔理科の時間だか社会の時間に聞いたよう
な気がする。素直になりすぎて信頼の置けなくなってもいけない。だんまりに
なって全てを自分の心に秘めてもいけない。あれこれ考えながら一番正しく清
い方法を考えるのが人間だ。それが出来るから人間はこんなに進歩できたので
はないか。「正しいことは悩みも多い」という名言がある。その通り、これか
らもいろんなしがらみが絡み付くだろう。それでも、情と法とを上手く混ぜて
、人間らしく適当にのほほんと…生きて行けたらなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ