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あゝ 繋がり故の虚ろさよ。
アジサイ の広場
眠雨(みんあ うき 高1
 近年、家族の団欒が減っていることが問題になりつつある。会社の仕事が長
引き、家庭に帰れない親。カップ麺や買い置きの弁当に慣れた子供。それが当
たり前になってしまっている社会。しかし、それではいけないと思う。家族な
のだから団欒の時間は作るべきだ。そうしなければ、互いの絆は弱まり、やが
て家庭は崩壊していく。私たちは、もっと家族との触れ合いを大切にしていく
ことが必要だ。
 
 そのためには第一に、仕事の取り組み方を考えねばならない。日常生活の大
半を削るのは、常に仕事である(学業や家事も一種の仕事だろう)。しかし、
仕事をせずに暮らしていくことなどできはしない。だから、私たちは仕事の合
間に「いかに家族との時間を作るか」を考えなければならない。そのスケジュ
ールは、個人によって異なるだろう。ほんの合間でもいい。心が深く触れ合う
ことが大切なのだ。例えば、我が家では夕飯を家族揃って食べる。父はかつて
は九時半帰りだったが、最近は仕事の終了時刻を早めて、八時半には職場を出
ている。私や弟は父の仕事場で勉強し、父と共に帰り、そして四人で食事をと
る。コミュニケーションが上手く取れているとは言い辛いが、夕飯を一緒に食
べるだけでも随分互いの在り方は違うと思う。
 
 時間という問題点をクリアできたなら、次は第二に『互い』を知らねばなら
ない。何を好み、何を嫌うか。話題によって、ムードは明るくなれば険悪にも
なる。最近は、子供の趣味や好きなグループを知らない親が増えているという
。好きなものや嫌いなものは、友人の方が知っているという事態だ。互いの会
話を弾ませ、信頼できる関係を築いていくには、互いの好みを知っていかねば
ならない。『交渉人』という映画がある。プロの人質交渉人である主人公は、
犯人との交渉に臨む際、犯人のデータを常に持っていた。犬好きなら犬好きで
話を合わせ、元海兵なら元海兵の好む話をする。それによって、交渉を有利に
運ぼうとするのだ。そんな打算に彩られた関係は悲しいが、ある程度は互いを
知っていた方がいいというのも事実である。
 
 確かに、今更親と会話なんて面倒くさいという意見もあるだろう。自分は金
を稼いでいるのだから、子供たちを充分考えているという意見もあるだろう。
しかし、養っているだけでは愛していることにはならない。愛されているだけ
では堕落していく。必要なのは温もり。欲しいのは言葉。心から笑うこと。そ
れが、今の家族には不足している。「何も無いところから頼りなく始まって 
数え切れない喜怒哀楽を共にすれば 時の流れは妙におかしなもので 血より
も濃いものを作ることがあるね」。B’zの『RUN』。その中の一節だ。数え切れ
ない喜怒哀楽が、今の家族には足りていない。友人がそのための場所になって
しまっている。だから、私たちはもっと家族との絆を大切に生きなければなら
ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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