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日本人が淡白であるかわりに
イチゴ の広場
太一 あうけ 中2
日本人が淡白であるかわりに、持続力にかけている。うるさいことや、ごてご
てしているのは嫌いだ。こういう考え方がが言語に影響しないはずは無い。細
かいことは省略し、それがわからないのは野暮だとして相手にしない。のけ者
扱いにされるのは誰しも好むことではないから、お互いに以心伝心の術に長ず
るようになる。そういう淡白好みの通人たちが考え出した詩型が和歌であり、
俳句であって、短いことでは世界的に類が少ない。ことに大昔から確立してい
る和歌の形式は、日本人の感性、言語、思考を決定するほどの力を持ってきた
ように思われる。日本語全体には女性的風格が強い。その女性的風格にいくら
か反発したのが俳句である。和歌がかな言葉中心であるのに対して、俳句は漢
語の比重が大きい。
 
 僕も、この外国文化の多い現代に生まれてはいるが、やはり、根は昔から変
わらない日本人だ。ごてごてしたものよりあっさりとしたものの方が好きだ。
 
 たとえば料理。僕は前、海外旅行に行った。現地につくまでの機内食はもち
ろん洋食だったし、現地についてからもしばらくは洋食を食べていた。そのと
きはまだ洋食がおいしいと感じ、体も受け付けてくれた。しかし、数日たって
くると、しつこい味の洋食にもそろそろいやになり、あの「醤油」の味がなつ
かしくなり、だんだん和食が食べたくなってしまう。そして、体も心も洋食に
うんざりし、どうしても和食が食べたくなる。そして旅行の最終日、ついにや
ってしまった。外国で和食をこらえきれずに食べたのだ。そのとき食べた和食
の味は普通のレストランぐらいだったらしいが、そのときは本当においしいも
のを食べたと思った。
 
 『瓜のつるになすびはならぬ』というように、いくら世代が変わって欧米の
文化がたくさん取り入れられても、なかなか人間そのものが変わっていくとい
うことは難しい。日本人は日本人のまま変わらず、あっさりとしたものが本当
は好きなのだ。
 
 
宇佐美太一のホームページ
 
 http://www.dab.hi-ho.ne.jp/usami7/
 
 ちなみに僕(宇佐美太一)のハンドルネーム(ネット上での呼び名。要する
にニックネーム。)はうさ公です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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