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コミュニケーション
イチゴ の広場
太公望 うの 高1
 今、日本の都会では、路上で物を売る人を見かけることがほとんど無い。順
序から言うならば、常設の店が出来る前は商売は皆路上で行なわれていた道は
人や馬の行き来のためだけにあるのではなく、立ち話や物の売買や時には喧嘩
のための公共のスペースだった。しかし、道で売っている物は時として信用で
きない。大きな街で見知らぬ物から物を買おうと、万一、それがインチキな品
でも苦情を持ち込む先がない。いまでも訪問販売や通販の類にはこの種の問題
がつきまとっている。日本のように万事がお金本位になってしまっていない国
では、まだ路上の商売は賑わっているし信頼もされている。
 
 今の時代、道端で物を買うという機会は本当に少なくなっている。今は、デ
パートやコンビニ、スーパーが主流である。そのようなところではほとんど機
械で処理するようになっているので会話というのがめったに無く無言の買い物
と言ってもいいという感じである。そのため買い物の時にレジのところで並ぶ
時は、あんまりいい雰囲気ではない。しかし、道端などで八百屋などをやって
いるところだと売っている人と会話が弾む感じである。それとスーパーで買う
野菜と八百屋の野菜では八百屋の野菜の方がおいしいように見える。このこと
を思うと、もっと路上で物を売っていてもいいのではないかと思う。それがあ
ることによってコミュニケーションがはかられると思う。私も平塚の七夕祭り
で路上で売られているブレスレットを買った。普通にお店に売っている物だっ
たら買わないと思う。とても不思議なものである。
 
 しかし、今の時代では利益中心の世界である。いかに効率よく物を売りコス
トを押さえ利益を上げるかということである。だから、自然にスーパーなどで
レジが導入されるのである。これも時代の流れと言ってもいいだろう。それに
スーパーは、いろいろなものが揃っている便利な場所であるためにたいていの
人がそこで買っていくのである。だからこのことは必要不可欠なのである。そ
れにスーパーでは詐欺というものはまずないと思う。路上販売や訪問販売は、
詐欺まがいというものが多い。私のところも一回騙されそうになった。
 
 とは言ってもやはりコミュニケーションは非常に重要である。いくら、スー
パーが便利でも路上販売などが無くなることは良くないことだと私は思う。「
さむさにふるえた者ほど、太陽の暖かさを知る」という言葉もあるように、人
間便利を求めていてもやはり最後はコミュニケーションなどをふかくしるとい
うことだろう。もっと人間性を重視すべきである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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