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「挑戦」について
アジサイの広場
○○○○あう大3
 新潟県三条市の幼女拉致事件を始めとした警察の不祥事が現在問題になって
いる。これらの一連の事件によりたった一度の試験をパスすれば退職、または
「天下り」として将来が約束されてしまう「キャリア制度」に対する問題がマスコ
ミによりしばしば指摘される。アメリカでは、たとえ競争から脱落してもその
競争に復帰することが出来るシステムとなっている。一方日本の競争システム
は一度競争から脱落すると復帰することが極めて困難になっている。そのため
挑戦するにはあまり良い環境とは必ずしも言えず、巻き返しが図れるアメリカ
の社会が活性化しているのに対し、社会全体が沈静化しがちである。警察の一
連の不祥事はその一例と言える。
 
 「挑戦」があまり日本に定着しない背景は他にもあるのではないだろうか。日
本は下のランクから這い上がることをあまり好まない傾向がある。極貧の生活
から出世した場合、アメリカでは「アメリカンドリーム」と言われるが、日本で
は「成り上り者」、「成金」と言われあまり良い印象は持たれない。幕末期におい
て生まれながら武士階級で「書」や「歌」などの武士としての教養を学んできた薩
摩や長州の藩士は遊郭で大変人気があったが農民出身が大半を占めていた新撰
組は「教養のない人」としてあまり人気がなかったという。このようなことも、
パイオニア精神が成長しない原因の一例と言える。
 
 では、「挑戦」を日本社会に定着させるためにはどうすべきであろうか。挑戦
を避ける傾向は日本社会に完全に根付いてしまっているため、挑戦する社会構
造を作り上げることは難しいであろう。強いて言うならば長い時間をかけて教
育などにより地道に日本の競争構造を変換していくしかないだろう。
 
 確かに死中に活を求めるようなことが必ずしも正しいと言う訳ではない。実
力の伴わない人が無謀な挑戦をして身を滅ぼした例は少なくない。挑戦するこ
とを根付かせる上で、挑戦をして成功する人はきわめて少数であるというリス
クが軽視されることがあってはならない。しかし、ベンチャー企業により大き
く発展したアメリカの経済を考慮すると、日本の競争システムは構造改革をし
なくてはならないのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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