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眠れないのは誰のせい
アジサイの広場
眠雨(みんあうき高1
 人間は平和を求めながら、その実心の奥では常に燃えるような何かを渇望し
ている。その「向上欲」とでもいうべき想いにより人間の文化は発展し、我々
は地球上に偉大な文明を築くに至った。流れが淀み膿を落とす、平穏という名
の停滞を、人間は嫌悪する。挑戦しようとする姿勢。不可能を可能に変えよう
とするその姿勢こそが、人間の繁栄に大いに役立ってきた。平和と呼ばれてい
る現代ですら、戦い(決して武力的なものだけを言っているのではない)の下
に様々な技術が生み出され、各国は目覚しい発展を続けている。
 
 ところが最近、その挑戦の意欲が忘れられつつある。冷め切った街角で妥協
と共に歩くのが楽な生き方だと、クールに諦めるのが恰好いい処世術だという
認識。もちろん意欲的に成長を続けている企業や、夢に向かい交差点を渡る人
々もいるが、街を歩いてすれ違う人の大半は、大人も子供も、どこか気だるい
雰囲気を漂わせている。システム化された社会の中で人間は部品になり、やが
て部品として在るべく、段々と己を封じ込めていく。それではいけない。自分
の挑戦したいこと、将来の夢をはっきりさせることが大切だ。明確な目標を持
つことによって、実現のためにはなにをすればいいかが浮き彫りにされる。そ
うして、世界の中での自分の挑戦する位置を発見していくことができるのだ。
例えば、私は将来、文章を書くことによって生計を立てたいと考えている。元
々書くことは好きだし、尊敬(この言葉は大仰で嫌いなのだが)できるある友
人から、言葉の世界の広さを教えられたからだ。そのためには、様々な世界に
触れなければならない。様々なことに挑戦し、様々な感じ方を磨かなければい
けない。アルバイトをしてみたいと考えている。他人と接することによって、
世界が広がる可能性があるからだ。旅をしてみたいとも考えている。風景は、
閉ざされた世界では知りえないことを伝えるからだ。
 
 つまり、挑戦は人間の根底にある本能と呼べるものだが、その原動力は夢を
持つことである。やるべきことがあるからこそ人生は輝くのだ。『ジョジョの
奇妙な冒険』という本がある。その第五部の主人公ジョルノ・ジョバーナは、
ギャングスターになるという夢を持っている。そのために道端で“商売”をし
、幹部と戦い、入団試験を受け、やがて彼はのし上がっていく。人間の欲望を
ストレートに、純真に表現する彼の心が、現代の我々には不足している。「人
生に意味はない。あるのは欲望だ。」とはチャップリンの芝居『ライムライト
』の中の台詞だが、これは少し間違っていると思う。「人生に意味はない。し
かし人生は、欲望によって意味を持つ。」という方が私はしっくりくる。生き
る事に意味が必要ならば、挑戦を意味とすればいい。
 
 確かに、戦うばかりの人生では疲れてしまうという意見もあるだろう。それ
はその通りだ。人間は無限の動力を持っているわけではないのだから、適度の
休息は必要である。だが、人間が挑戦する動物である以上、いつかは戦いへ向
かっていく。平和なふりをしたベッドの中で、眠れずに過ごす夜が来る。その
時、自分を必要以上に押え込まず、毛布を剥いで、冷たい風の中へ立ち上がる
ことも必要だ。惰性で過ごす平和な人生は、造花と同じである。枯れずに変わ
らずに姿を保ち続けるが、それには最早生命は通わない。私たちは、自らの夢
へ向けて戦い抜く生き方をするべきである。
 
 
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ペンネーム変えました(・・)ノ
 
 眠れる雨。瞑目の中で降り注ぐ銀の粒。
 
 心地よい睡魔とともに頬を伝い、
 
 やがて花びらよりも優しく世界を包む。
 
 
…でも実は読み音だけで決めました。(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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