クラシックよりサザンや頭文字Dの音楽が好き |
。 |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
AE86 | / | えや | 高1 |
「クラシック音楽」とは、良く分る人には「素晴らし~(~o~)」という意見を |
持つち、積極的に聴こうとするが、良く分らない人にとっては本当に「??? |
」となってしまう『聴く人を選ぶ』音楽である。私はどちらかというと「?? |
?」派であり、学校の授業意外では聴かないのだ。(エッヘン!)←威張れな |
いと思うんですけど(~_~;)。 |
何はともあれ、このようにしても、クラシック音楽への道はつけられる時代 |
になった。しかし、世の中には「クラシック音楽は難しい」という人が今でも |
結構いる。しかし、コマーシャルの十五秒のクラシック音楽は、そういう体験 |
には程遠い、どころか、その入り口でさえないのではないか、と私は思う。つ |
まり、コマーシャルのクラシック音楽が効果を上げたのは、単にコマーシャル |
の世界でありふれていないので新鮮だったということだけではなく、今日では |
一曲を有機的統一体として把握する構造的な聴き方のできない人、あるいは秘 |
かな異和を抱いている人が次第に増えており、十五秒ポッキリという異端の聴 |
き方がその人たちの心の間隙をついた、という一面が在ったのではないだろう |
か。 |
私は文頭にも書いたようにクラシックというモノが良く分らない。むしろ、 |
堅苦しいイメージが在り近寄り難い存在となってしまっている。しかし、今の |
世の中は今、時間に拘束され時間的余裕が無い人も多数存在する。このような |
慌ただしい時代だからこそユッタリとしたリズムのクラシック音楽が見直され |
てきているのだろう。現に最近はゆっくりとしたリズムの曲が多くなってきた |
。見直されているのをなぜ分かるかって? それはCMなどでもよく使われるよ |
うになってきたからだよ。人間の癒されかたは主に二種類ある。そのうちの一 |
つは「ユッタリとした曲で慰めてもらう派」もう一方は「激しい(?)曲など |
を聞いて元気をつける派」である。私はどちらかというと後者である。悲しい |
ことがあったりした後は、サザンや頭文字Dなどの音楽をいつもよりチョット |
大き目の音量で聴くのだ。その勢いで嫌なコトを流すのだ。しかも、最近のシ |
ンガーソングライターは自分自身の気持ちをきちんと表わせている人も多い。 |
だから売れるのである。 |
っと書くとクラシックが無くなりそう感じだが、実際にそうだと思う。最近 |
はクラシックなどをわざわざ買ってまで聴く人が少なくなってきているが、今 |
の若者はもっと聴くべきではないかと思う。確かに最近の音楽の方が若者たち |
には合っているかもしれないが、キチンとした形で聞くようになればクラシッ |
クの良さというものがもっと分かる気がする。私の意見としてクラシックの形 |
(?)を変えるか変えないかについての答えは「変えない!」クラシックには |
クラシックの良さがたくさん詰まっているのだ。そんな良いモノをなくすなん |
ていうのは大変もったいない。最近の音楽に押されて陰が薄くなっているクラ |
シック音楽よガンバレ。 |