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「しかし、床屋の旦那」と男は言った。
アジサイ の広場
眠雨(みんあ うき 高1
 最近クラシック音楽が敬遠されている最大の原因として、曲の長さが挙げら
れる。時間がない時間がないと誰もがぼやき、あらゆるものが短小になってい
く時代の中で、それは異質な存在となりつつある。やりたいことがある中、誰
もがやるべきことに追われ、夢と現実のギャップに悩んでいる。長いゆとりを
持つ時間はもちろんないと、嘆いて頭を振る。そもそも現代人は、資材を小型
化させていく傾向が顕著だ。小型化するということは持ち運びが便利になると
いうことであるが、持ち運びを便利にする必要があったのは、使い道のない無
駄な時間があったからである。生活の中には、無駄な時間が多すぎる。我々は
時間がないと言う前に、本当に『時間がない』のかを考えるべきだ。
 
 第一に無駄な時間といえば、それは恐らく交通にかかる時間だろう。職場へ
、あるいは学校へと通じる電車やバス。徒歩であっても、時間がかかることに
変わりはない。その時間を短縮できれば、非常に有意義な使い方ができるはず
だ。それをせめて無駄にしないための発明が、ウォークマンやモバイルであっ
たわけだが、家にいる時の動作環境と比べ、やはり質の低下は否定できない。
私は文章を書くことを趣味としている。通学のために乗るバスや、友人と会う
ために乗る電車の中での時間を、常々もったいなく思っていた。ふと頭に文章
が浮かべば、そこから次々に言葉を引き出していきたいのに、停留所を逃して
しまう危険性の中ではそれもままならない。そこで着目されるのがインターネ
ットである。ページからページへ飛ぶ時間は約三秒。三時間かけて通勤を行な
う人がいることを考えれば、圧倒的な時間の節約である。インターネットを行
動の基点とすることにより、我々はもっと時間を有効に使っていくことができ
る。
 
 また、やりたいことを整理するというのも大切である。目まぐるしい毎日の
中で、やりたいことが薄れていく、あるいは忘れていく。自分自身を自分の中
でうまく消化できていないから、我々は時間を使いこなせない。現代の便利さ
に溺れず、自分の中の優先順位を浮き彫りにすることによって、時間を有効に
使っていくことができる。ミヒャエル=エンデの「モモ」では、人々は“ゆと
り”を削っていった。人間らしい時間を削り、無為に灰色の毎日を過ごすよう
になった。だが、自分の中に一条の夢を持っていれば、そしてそれに向かうた
め時間を作るのであれば、それは色褪せず、むしろ鮮やかに息づくものになる
のだ。
 
 確かに、技術が進歩していけば、システムの高性能化と小型化が進み、無理
に時間を空けなくてもいいようになる、という意見もあるだろう。しかし、雰
囲気や空気、考える時間の制限により、軽薄なもので重厚なものを生み出すこ
とは難しい。腰を据えてじっくりと、という作業が、小型化を求める技術には
欠落している。もと技術の方向性を変え、「外にいながら何かができる」では
なく、「家にいながらどこかへ行ける」という技術こそ、これから重要にして
いくべきだと思う。
 
 
 
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…ちょっと書きたいことと離れてしまったため、
 
 意見が倒錯してます(@@;)み゛ょー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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