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空白
イチゴ の広場
太公望 うの 高1
 「何もしないでいる」状態を、「何もしない」ことで維持することは難しい
のである。「流れる」時間については、放っといても体験出来るし、むしろそ
れに呪縛されている感が強いのだが、「情み重ねる」時間については、我々自
身が意識し、工夫しなければ体験出来ないことになりつつあるのではないだろ
うか。特にこうした感じが強いのは、例の、「情報化社会」というのと無関係
ではないかもしれない。「情報」が多様で、断片的な、局部的なものであれば
あるほど、我々は自分自身を連続的に維持しようとするのであり、結局「流れ
」としての時間から逃れられなくなるのであろう。かつての「趣味人」は、「
流れる」時間からちょっとはずれた所にいて、「積み重ねる」時間の中で、何
ごとかをしていた。
 
 自分の生活の流れを切るのは非常に難しいのである。人間は、サメみたいな
ものだと私は思う。人間は、常に動いていないと駄目なような感じである。だ
が、ある日突然止まるのである。今まで自分がなにをしているのだろうかと考
え自分の行動に疑問を持ち始めふらふらとどこかへ行ってしまうのである。そ
うするとしばらくやる気は出ないと言ってもいい。だから人間は、ある種の空
白が必要である。つまり無になる必要が大切である。
 
 例えばどういうことをすればいいのかと考えると普段と何か違ったことをす
るか個人単位で考えると孤独になることが大事なのではないかと思う。孤独と
言うと変な感じだが一人になってみると言うことである。そうすることによっ
て自分を改めて考え直すことが出来るはずである。そうすれば又社会の流れに
乗っていく時目標などを持って行動できるのである。
 
 私も毎日の学校で疲れて1日1日を過ごすのに精一杯なとき、一人になって音
楽を聴いたり、好きなビデオを見たりしていると自然と活力が出てきて新たに
目標をもって頑張っていこうと言う気持ちになれる。
 
 だが、今の時代特に日本は、空白を作ることでさえ許されない状況である。
通勤時の電車の中を見ると生き生きしているサラリーマンなんか見たことも無
い。自分の意識で行動しているという感じがしない。それでふと気付くと年寄
りになっていたり空しい生活になっているのである。今の人間は、未来を見過
ぎているような気がしないでもない。常に未来の何々のためにと言った行動し
かしていないのである。「今」というものを大事にしていないのである。だから
、このような社会構造を見直していくことによって又新たな価値観、目標など
が見出せるのではないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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