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ロボットは人間?人間はロボット?
イチゴ の広場
あおき 高2
 (私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。いく
ら人がその痛みを想像したとしても、それはその人が私の経験に似たものを想
像しているだけであって、本当の痛みは分からない。これは、自分以外の人間
は全てロボットと同じ位置にあるということだ。それは、ロボットに人間が感
じているのと同じ五感の働きがあるかどうか分からないのと同じことだからで
ある。)
 
 今現在でも人間によって作られた複雑精巧な装置、ロボットは更に目覚しい
発展を遂げている。今月には、ドイツの専門医院でロボットを助手にして人工
の耳をつけるという手術や、運転免許テストが行われた。コンピューターなら
ではのレーザースキャナやカメラ、三本の手を使って精密且つ素早く行い、い
ずれも大成功のうちに終ったようだ。彼らは予め設定されたプログラムを速く
、そして正確にこなしていく。正確に手術を遂行し、複雑なことが出来るロボ
ットがいれば、それは人にとってどんなに心強いことであろうか。近い将来、
ロボットのみによる手術が行われる様になるのも、夢ではないかもしれない。
しかし、その発達した社会だからこそ、不安なことも表れる。
 
 最近、機会の一種であるTVゲームやPCに依存しすぎたために、現実と画
面上の世界との区別がつかなくなり、犯罪を起こすケースが増えてきているの
だ。又、テレビや漫画などの言葉を真似し、平気で他人を中傷してみたり。。
。この様行動を起こすのは、被害者側の痛みが分かっていないからこそ出来る
行為だと思う。そして、その原因は“振りをしているような”機械に囲まれて
育った環境ではないだろうか?
 
 作者のいうとおり、ロボットとも長い人間らしい付き合いを続けていれば、
恐らくロボットに対しても優しくなれ、愛嬌も持てるだろう。だが、それは人
間が作ったロボットとの、人間らしいつきあいである。しかし今のままでは、
ロボットの発展と共に、人間が言われたことしか出来ないロボットになってい
くのかもしれない。そして、我々はもっとも大切な何かを忘れていくことだろ
う。大切なのは、優しさをもってふれあい、自分なりの痛みを分け合って、“
人間仲間”として結びつけることである。しょせんは他人なのだから、他人の
痛みなど分からない。しかし、相手を分かろうと痛みを感じようとすることで
共感を得、好きになれること、繋がりが出来ることを忘れてはならない。だか
らこそ、機械に依存しすぎず、パートナーとして付き合っていかなければなら
ないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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