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情報を疑え
アジサイ の広場
拓馬 ねき 中3
 明るい部分とは、映像や情報の流れている部分、暗い部分とは、映像が秘匿
され、流れてこない部分である。
 
 大量の情報は、その情報の影にある、真実の情報を覆いかくす目くらましの
効果を狙っているものである。情報を出さないことによってではなく、情報を
積極的に流すことで、情報を管理する、操作するという方法である。だから、
テレビに写らない重要な情報があることを考えなければならない。
 
 真実を知るためには、まずいろいろな視点から見た情報を集め考え、そして
実際に現場を見ること。車を買う時だって、前からの写真だけじゃなくて、横
から、後ろから、上から(?)、中から見るだろうし、現物を見なけりゃ話になら
ない。外はよくても中がオンボロなら意味がない。情報もそれと同じだ。そう
することで、平面だった情報は、頭の中で立体化してくる。
 
 また、一つの事柄を話し合うことも大切である。自分の行動は当然自分の考
え、経験から導き出されるものだから、自分一人でいろいろな視点から見よう
としても限界がある。しかし、十人いれば十の考えがある。だから、同じ情報
を見ても、感じ方が違う。その人々が話し合いによって意見交換すれば、また
多くの視点から見られる。例えば、韓の初代皇帝高祖であった劉邦は、個人と
しては決して有能ではなかったが、その人柄でつないだ人脈により、多方面か
らの視点を得、有能であった兄を差し置いて天下統一まで成し遂げた。「視点
」は、ここまでことに繁栄する。だから大切だといったのだ。
 
 真実を知るには、このような方法を用いる必要がある。確かに寝ながらでも
情報を手に入れられる現状は便利だが、情報をうのみにしているだけでは何も
わからない。だから、情報を疑って、追求するのである。情報に対しては、多
少疑り深い人間でかかったほうがいいかもしれない。情報はあくまで情報。そ
れを正しく見抜く目が重要なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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