能を見ると分かるが |
イチゴ | の | 峰 | の広場 |
くみこ | / | さく | 高2 |
能を見ると分かるが |
磯野久美子 |
能の考え方に、「型へ体をはめ込むことによって型を越えた力に達する」と |
いうものがあるそうだ。日本古来の考え方にも、同じようなものがある。「健 |
全な肉体に健全な精神が宿る」という考え方である。これは一見何か引っかか |
る考え方ではないだろうか。肉体と精神、つまり心と体が全く直結するという |
考え方なのであれば、賛成しかねる所がある。それではなぜ健全な精神は健全 |
な肉体に宿るのだろうか。 |
まず、「健康な体は、人間の生活の基本単位である」という理由が挙げられ |
ると思う。私を含めた世の中の大多数の人々は、健康に恵まれ、日常生活に支 |
障をきたすことはほとんどない。これが一般的な「健全な肉体」ということの |
意味である。もし私達が、何かの病気にかかって自分の思い通りに動けなくな |
ったり、果ては命まで失うとしたら、平常心を保つことが出来るだろうか。よ |
っぽど強い人でない限り、多くの人がヒステリーを起こしたり、やけになった |
りしてしまうに違いない。そういう意味で、基本的に体が健康な人は気持ちま |
でも健康になることが多いのである。 |
もうひとつの理由は、人間は物事に形から入る傾向がある、ということであ |
る。明治維新の日本においても、まず人々はヨーロッパの生活習慣をまねるこ |
とから始めた。洋服を着て散髪をしてみたり、舞踏会を開いてみたり、牛丼を |
食べてみたり・・・・・そうして形から入ることによって、最終的にはヨーロ |
ッパ自体に近づこうとしたのだ。つまり形を目標とすべきものに近づけてしま |
い、後から心をそれに合わせて変えてしまえばいいという半ば強引な方法であ |
る。このとき、「健全な肉体」とは外見のことで「健全な精神」とは本質のこ |
とを指すのである。 |
確かに、健全な肉体には必ず健全な精神が宿るというわけではないし、外見 |
さえよければ中身はどうでもいいというのはとんでもない。肝心なのは、肉体 |
と精神は明らかに違うものでありながら、相関しており、また私達は両方を向 |
上させるように務めなければならないということなのだ。私は、「健全な肉体 |
に健全な精神が宿る」ではなく、「健全な肉体は健全な精神によって成り立つ |
」でもいいと思う。この言葉は二つとも、私達に心身ともに望むべく成長する |
よう心がけろということを言っていると思うからである。 |