知識と目 |
イチゴ | の | 池 | の広場 |
エガ | / | てせ | 中1 |
ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固 |
定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れ |
るこ |
と、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切な |
のだ。実際にものを見たり接したりするときには、これまでの知識をいったん |
横へ置いておき、そして裸の心で自然にまた無心にそのものと接し、そこから |
うけた直感を大切にし、そのあとであらため |
て、横においていた知識をふたたび引きもどして、それと照らしあわせる、こ |
んなことができれば素晴らしいことです。作品と対するのは、この世界でただ |
ひとりの自分です。自分には自分流の感じかたがあり、見かたがあります。た |
私は、知識にとらわれず、自分のありのままに見るということが大切だと思 |
う。第一に理由に、知識を通してみると、正しい姿が見られないことがあるか |
らだ。本当は優しい先生でも、でたらめなうわさを聞き、それを信じてしまう |
と、優しい先生も怖く見えてしまう。知識と言うものは、役にも立つが、「見 |
る」と言う点で重要なことを忘れさせるのだ。 |
第二の理由に、自分の目で見ると進歩するからだ。知識だけに頼っていると |
、自分で見て、考える事ができなくなってしまう。自分の目で見てこそ、自分 |
と言うものは進歩するのだ。私たちは生まれたときから目を持っている。持っ |
ていると言うよりもついている。人の一部を信じるより、自分の一部を信じた |
方が良いと私は思う。 |
確かに知識は能率が良い。用もないようなことは知識でかいけたしたほうが |
良い。しかし自分の目で見ると言うことは良いことだ。私は者をありのままに |
見ていきたい。 |