世界は崩れ、愚者は歌う。 |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
眠雨 | / | うき | 高1 |
数字は厳密であり心情は不安定である。かつての工業社会の生産物は計算に |
よって製造に必要な資金やおおよその価値を予測できたが、現代の生産物の価 |
値は人間の心情に依るものが多く、非常に値段がよろめきやすい。服にしろ音 |
楽にしろ車にしろ、多くの買い手が「かっこいい」と思えば売れて、逆にいわ |
ゆる「マイナー受け」するものはどんなに金をかけようとも売れない。しかも |
、その基準は非常に曖昧なところに設定されており予測は困難である。社会に |
は未だに大時代的な「コストがこれだけだから収入はこれだけだ」というカリ |
キュレーションの熱心な盲信者がいるようだが、そうした人々はこれからの時 |
代の変化へ目を向け、心の掴みとでも言うべきその新しい生産物の価値を見直 |
していくべきだ。 |
こうした社会へ適応するために大切なのは、やや極論になるが、第一に手数 |
を増やすことだ。下手な鉄砲もなんとやら。心価社会においては、ある製品を |
生み出すために要した苦労やコストが結果として現れたり現れなかったりする |
。もちろんただ手を抜いただけの製品を買い手の前へ出すのは失礼であるが、 |
それでも目新しいものや心の間隙を上手く突いたものならば売れてしまう。例 |
をあげるなら、近年の目まぐるしい流行だろう。異常な流行を生み出す、異常 |
なファッション。幾重ものおぞましい襞を垂れ下げた靴下らしいもの。役者で |
もしないような…といったら役者に失礼だろうか、ともかく白と黒の調和を無 |
視した不気味な化粧。時速2.75mの旋風を巻き起こした、某企業のマスコット |
キャラクターであるたれぱんだも、提案された当初はそう熱心な企画ではなか |
ったという。だがそうした何気ない商品がヒットを出す以上、多少質は下がっ |
てもアイデアの量を重視していくべきだ。質が低下したか上昇したかすら、決 |
めるのは消費者なのだから。 |
また、第二の方法として想像力や創造力の向上をもっと教育の重点に置いて |
いく必要があると思う。生徒を無理矢理数字で分類し、勉強は広く浅く将来性 |
の幅ばかりを拡張していく昨今の教育は、これからの社会に適応し得るもので |
は決してない。新しいものを創る力、新しいものを考えるその心こそが、社会 |
で必要とされるのではないだろうか。新しいものを拒否し弾き出そうとするの |
はある程度完成された社会の性であるが、だからといって認めてしまっていい |
ものでもない。学校という環境は常に遅れがちである。発明王と呼ばれたトー |
マス・エジソンは、落ちこぼれと断ぜられた。何故なら彼はそれまでの教育の |
レールを外れたからだ。学校は彼を馬鹿だと言った。しかし、彼は成功した。 |
どちらが愚かであったのかは自明の理である。教育は常に最も的確に迅速であ |
ることを必要とされるが、その行動は常に最も不適格で鈍重である。 |
確かに工業社会の理念は現代社会の大きな基盤になっている。人類の進歩の |
結晶であるし、様々な行動の拠り所として利用できることも確かだろう。しか |
し、そうした旧時代の概念は今音をたてて崩れようとしている。変化していく |
社会の中でそうした硝子細工の塔にしがみついている人々は、やがてその世界 |
が崩れた時、どこまでも広がる塔の外で途方に暮れるだろう。しかし、それ以 |
前に時代の流れを見つけ塔の外へ出た人々は違う。塔の人は広がる地の果てが |
見えず、外の人には確かな地平線が見えるのである。我々はこれからの社会の |
「価値」の在り方を見直して、それに適応した生き方をするべきである。霹靂 |
は既に輝いた。旧時代は、最早終わりを告げたのだ。 |