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母の小さい頃
ウグイス の広場
ナズナ あもせ 小5
 藤沢に、母の自家へ行く。母の部屋はちゃんとかたづいていた。学習机には
何も置いていない。ただ、机のはしにぽつんと分厚い作文用紙が置いてあった
 
 何か書いてあった。なんだろう。
 
 
私の十二年間 j組十番石山由有子
 
 第一章 私誕生
 
 私はとある病院で生まれました。母は私に悠子と名前をつけたのですが、「
現在、この漢字は認められてありません」と言われ、意味も無く由有子となり
ました。
 
 
 第二章 ニュース
 
 私が五才の時、なんとビッグニュースがおとずれたのです。赤ちゃんです。
私の母のおなかに赤ちゃんが出来たのです。私は嬉しくてたまりませんでした
。聞いてみたところ赤ん坊は男の子だそうです。なんといったらいいのかわか
らないくらいです。
 
 そして半年が過ぎました。私に弟が出来たのです。名前は淳、石山淳と言い
ます。
 
 
 第三章 小学校
 
 私は六才の時に小学校に入りました。小学校に入った時は慣れなかったので
すがようやく○○ちゃんと言う友達ができました。その子と、いつもなかよく
していつでも遊んでいました。またこの学校は女の子だけしかいないいわゆる
お嬢様学校でした。しかし○○ちゃんのほかにもたくさんの友達もできました
し、「お嬢様学校」だからって気にする事はないと思いました。
 
 私が小学校三年生の時、仙台の小学校へ移る事になりました。つまり、引越
しです。新しい家が私はとても楽しみでした。小学校も楽しみでした。
 
 「湘南白百合学園から来ました。石山由有子です。」
 
 私が仙台の小学校の教室にはいったとき、あたりがざわめきました。「お嬢
様学校から来た子ね。」というふうに。それから皆が私を友達になりたがり、
ちやほやしました。そんな時、また気の合う友達ができました。しかしその他
の子は私と「お嬢様学校」だからとともだちになりたがりました。
 
 私はこの学校の人は親切というものがないときづいたのです。
 
 
 第四章 引越し
 
 私はまた藤沢に戻り、そして私は清泉中学校に入りました。
 
 
※この作文は実際より短くされています。
 
 私は母の自家で母の昔を知った。作文は、人の心情を映す鏡である。また作
文は読めば読むほど人の心情を知る事ができる。
 
 
 
 
 
 
 

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