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逆境ニモ負ケズ
アジサイ の広場
幸子 あさも 中3
 創造とは、松茸のようである。創造には、松茸が地表面下で根を広がらせて
いくような蓄積の段階がなければならない。だが、いつまでも蓄積だけを続け
ていては、松茸がキノコを作らずに枯死してしまうように、人は創造すること
なく、生涯の幕を閉じなければなくなってしまう。すると、ある時点で、松茸
に与えられる妨害条件に相当するものが、人がものを創造する上でも必要にな
る。すなわち、蓄積を表出させる条件、「逆境」が必要なのである。私は、逆
境にあっても、それに立ち向かってプラスにして生きていきたい。
 
 その為には、少し何かあったくらいで落ち込んだりせず、希望を持っていく
べきだ。希望さえあれば、逆境も利用して自分の成長の糧にすることが出来る
(だろう)。例えば、コツコツ勉強をしている人と一夜漬けの人とだと、統計
的には一夜漬けの人よりコツコツ型の人の方が勉強量は多いのだろうが、一夜
漬けの人は「ヤバイ、やらねば!!!」というやらなければいけないという逆境
(?)の中にいるので、テスト前日一晩の勉強量のみで比べると、一夜漬けの
人の方が多いのである。また、短時間での勉強裏技法など思い付いたりするか
もしれない。
 
 また、日本の教育方法として、逆境を与えないで、温室培養することが常識
になっている。一人(もしくは友達と)旅行に行こうとすれば危ないから駄目
といわれ、逆境にあわないようにされる。慶応義塾を開いた福沢諭吉は、家が
貧しい下級武士で、上級武士などに虐げられていた(?)ので、悔しがって猛烈
に勉強を始めたといわれている。もし福沢諭吉が上級武士の生まれだったら猛
烈に勉強することもなかっただろうし、慶応も開かず、「学問のススメ」も書
くことはなかったであろう。
 
 確かに逆境にはあわないように、失敗しない様に生きていくことも大切だが
、失敗して、その失敗をバネにして次への糧にして行くことも大切である。私
(たち)は、蓄積しかしないで、ひたすら知識を詰め込んで暗記して、それで
終わりになっていることが多い。しかし、詰め込んだ知識は使わなければ意味
がないのだ。「読書とは、自分の頭で考えることではなく、他人の頭で考える
ことである」というが、知識は自分の頭で考えているのではなく、ただ詰め込
んでいるだけなのである。知識はため込むためにあるのではなく、他の何かを
創造したり、利用したりするためなのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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