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障害者に対する思いやり
アジサイ の広場
陽一 あわつ 中2
 アメリカにあるユージーンという町は、日本の東京と違って生活のリズムが
ゆったりしている町である。ユージーンの人達は、道であった見知らぬ人にで
も普通に「ハロー」などと言い合うような町だ。そのユージーンでは、障害者が
、バスなどに入る時、回りの人がその障害者を乗っけてあげるような町でもあ
る。僕は、前にと今日に住んでいたが、障害者の人を助けてあげていた人はい
なかったと思う。この、ユージーンの人達は、他にも、障害者に対しての配慮
はすごい。例えば、ユージーンでアパートを借りる時、管理人の人が、「障害
者の人が1人で住めるようにこちらで変えられるところは変えましょう」と言
ったりして、いろいろ配慮を示している。
 
 そのように、配慮を示す事は、とてもいい事だ。やはり、障害者は、人にい
ろいろやってもらえる方がいいと思っている、そのように思っているようだ。
それに、人というものは、他の人に対して優しくしてあげようという気持ちが
多い。だから、障害者に対して、すごくやさしくしてあげるようだ。その気持
ちを、行動に表したユージーンの人達はすごい。やはり、普通の人なら楽した
いものだ。障害者は、人に、何でもやってもらえるからいいな、と思う人がい
るかもしれないが、その考えは、間違いである。障害者も、好きで障害を持っ
ているわけではないからだ。
 
 しかし、最近では障害者にも自分でやらせるような世の中になっている。昔
の人なら、障害者は、何もしなくていいと言う考えがあったが、今では、自分
でやる事が大切だと言う考えが多くなっている。出もよく考えてみると本当に
自分でやらせる方がいいと思う。実際に、僕が通っている中学校でも、障害の
ある子のクラスがある。そのクラスの子達に、先生たちは、自分たちでご飯を
作って食べたり、スピードは違うけど、他の子達と同じような事をやらせたり
する。そうする事で色々なことにならせ、他の子とたいして変わらなくしてい
るのだろう。例えば、車椅子を押してもらっている人がいるとしよう。その、
押されている人は「ありがとう」と言う気持ちで押されていると思うが、同時に
「自分でできたらな」とも思っている事だろう。障害者は、自分が障害者である
と思われたくないだろう。また、自分を一人前の人間と見てほしいと思う。そ
の気持ちがあったからこそ、パラリンピックが開かれたのだろう。上でも書い
たように、昔の人なら、足が不自由なら歩かなくてもいいよと言う気持ちが強
かった。でも今は、足が不自由でも、不自由なりに生きるようすすめる時代と
なっている。簡単に言うならば、やらなくていいという時代から、義足をつけ
てでも歩けるように道を整備する、といった自分でやる事を中心にした時代に
なっている。そのような時代の方が障害者にとってはいいんだなと思った。
 
 障害者にとって一番いい事、それは自分で色々な事をするような社会がいい
と思う。出も、足のない人が、急なさかを登るのには無理がある。そのような
無理を言われても障害者の人はとても難しいのだ。だから、障害者にとって歩
きやすい道を作ってあげたり、障害者の人ができるような事は、自分でやらせ
ると言う社会が一番いいのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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